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評者◆添田馨
吉増剛造の神聖文字――手書きの造形が発するただならなさに打たれる
No.3143 ・ 2014年01月25日




■去年の暮れ、久しぶりに会ったとある出版社の社長から頂いたのは、一冊の国文学の雑誌だった。きけば自分のところで出しているという。軽く酒も入っていて何故だか無性に嬉しくなり、パラパラと何気なくページをめくったその時、事件は起こった。まさに水底に潜む電気鰻にでも触れてしまったかのような……。
 『アナホリッシュ國文学』(第5号・響文社)、蕪村特集号の巻頭に二つ折りに綴じ込んであった一枚のカラー図版に、気が付いたら私は一瞬で雷撃されていたのである。
 それは、中央部分に蕪村「春雨や小磯の小貝ぬるゝほど」の句を金泥を使って大きく墨書きした画幅に、肉眼では読めないほどの小さな手書き文字がそれこそ春雨の滴のカーテンのように絶妙に配置されている、絵画ともテキストともつかぬ不思議な造形作品だった。A4にも満たない紙幅にもかかわらず、何というその圧倒的存在感! 事件だと言ったのは、まったく予期せぬかたちで吉増剛造の放ったその〝詩神〟に、私の日常感覚がいきなり撃沈されてしまった事態を指している。
 「水だ。不伽井、……水だ。わたくしは、こうしてわざと、渾沌や混乱緒洪水か川欠(かはかけ)のようにして導き入れて綴っているのだが、やがて、きっと隅々まで、白く奇麗に成ることだろうというと、BUSONが笑ふ。」(手書き箇所テキストより)
 古来より人は山上の巨大な岩塊や遥かな樹齢を重ねた大木の姿にただならぬ気配を感じとり、自然信仰の対象にしてきた。それとどこかで相通じるようなただならぬ畏怖の念を、そのとき私は吉増氏の手業にも覚えたのである。
 文字でありながら読まれるためでなく、意味を伝えるためでも何かを表象するわけでもなく、ひたすら詩的であることを彫琢する一直線の意志によってのみ、それは支えられているように見えた。書かれているのは紛れもなく吉増氏の〝神聖文字〟に他ならなかった。







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