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評者◆三上 治
被差別部落の問題――被差別部落の解放運動を長年にわたって支配してきた理念に抗う中上健次
No.3142 ・ 2014年01月18日





(7)左翼思想の欠陥

 中上の文学作品で映画化されたものとしては『赫い髪の女』(神代辰巳監督)がよく知られている。原作は『水の女』にある「赫髪」。『十九歳の地図』(柳町光男監督)など他にも映画化されたものはあるが、この作品が傑出している。若松孝二監督で『千年の愉楽』も映画化されているが、もう一つと思えた。映画化の難しい作品なのか。逆にいえば、それだけ文学的な達成度の高い作品といえるのだろうと思う。吉本隆明は『追悼私記』の中で中上の文学的な達成について次にように評している。
 「中上健次の文学に思想としての特長をみつけようとすれば、第一にあげなくてはならないのは、島崎藤村が『破戒』で猪子連太郎や瀬川丑松をかりて、口ごもり、ためらい、おおげさに決心して告白する場面として描けなかった被差別部落出身の問題を、ごく自然な、差別も被差別もコンプレックスになりえない課題として解体してしまったことだと思う。」(吉本隆明『追悼私記』)
 これは中上の多くの作品についていっているのであるが、『千年の愉楽』も重要な位置に置かれていたように思う。これはまた「被差別と差別の問題は中上の文学によって理念としては終ってしまった。あとは現実が彼の文学を追うだけだ」(『追悼私記』)ということに関係していると考えられる。さらりといわれているように見えるが、中上の文学について、さらに被差別部落の問題について重要なことが言われている。中上は出自が被差別部落であること、路地を原基にしていることを語っているが、彼の文学が被差別部落の問題にどのように関わったかは誰も明確にはいい得ていない。被差別部落の問題に言及したから、それに対応しえたということにはならない。ある意味では被差別部落の問題はそれだけ難しく、この問題に立ち向かう思想は内実が試されてしまうようなところがある。僕らの前に被差別部落の問題が政治的―社会的な主題として登場したのは1960年代後半である。被差別―差別の問題の一環として出てきたのだが、これにきちんと向かい合えた思想は皆無に近かったといってよい程だった。被差別部落問題は同時期に浮上した天皇、天皇制の問題に似た、というよりは基盤を同じくする問題であったけれど、この問題に立ち向かった左翼思想(マルクス主義)は欠陥を露呈させるように現象したとさえいえるのである。

(8)中上の対応と挫折

 中上が被差別部落を原基とする路地を創出し、そこを舞台にする多くの物語を書いてきたことは、彼が被差別部落を意識し、その解放を考えていたことでもあった。これは彼の作品上だけのことではなく、他の活動としてあった。それには60年代後半に差別問題とともに、被差別部落問題が政治的―社会的課題として登場した影響があったといえるが、中上はこうした運動として新宮市の被差別部落の中で公開講座を展開する。78年のことで、『枯木灘』の後に朝日ジャーナル連載の『紀州』も終わったころである。この『紀州』は紀伊半島全域を差別、被差別ということを考えるために取材し、書いたといわれてもいるが、この一環として公開講座はなされた。月一度、ゲストの講師を呼んで講演をして、中上が常任として現代の文学を語るというものだった。当初は12回の予定だったらしいが、途中で揉めごろもあって8回で打ち切られた。この8回の講師は佐木隆三・石原慎太郎・吉増剛造・瀬戸内晴美・森敦・唐十郎・金時鐘・吉本隆明であった。講師に石原慎太郎を呼んだことが最初に非難されたようだ。そして「声高に差別を論じない為、いや教条的な差別議論や実利的な差別論を言わない為に、解同新宮支部からは、文化会のメンバーは反支部的といわれたのである」(「被差別部落の公開講座八回で打ち切りの反省」中上健次エッセイ選集)と指摘されている。また、次のようにもいわれている。「当初十二回を予定していた連続講座を第八回吉本隆明氏をむかえたのを機に打ち切ったのは、幾通りも原因が考えられるが、最大の原因は部落青年文化会の内部崩壊である。メンバーに文化を読み変えることも文学の新しい地平も無縁であるし、それよりもわかり易く人の吐いた差別的言辞をあげつらい、差別語かくし運動の方がよいという迷妄があったからである。」(同前)
 中上の試みた文化運動的視点での被差別部落問題への対応が、どこまで有効であったのかはにわかに論じられないが、彼の運動がぶつかった問題はわかる。彼が考えていた被差別部落の問題と周辺の人たちで、その認識や理念などが違っていたのであり、中上は孤立した状態に陥ったように思える。僕は当時、中上とは具体的な関係がなかったから詳細はわからない。中上の反省の弁として書かれたものには彼の悔しさのようなものがにじんでいるが、その食い違いを打ち破れるものをこの段階では持っていなかった、といえるのだろう。
 僕自身の経験で被差別部落のことをいえば、幼少期に祖父に刷りこまれるようにしてやってきたものだった。それはタブーというか、禁制というか、恐れの多い存在というように刷り込まれたのである。このことを意識的(自覚的)に考えるようになったのは後年であるが、被差別部落民に対する差別がいかなる意味でも不当なことであり、差別に対する批判が正当なことは自明だった。ただ、この被差別部落の存在をどう認識するのか、また解決をどう考えるのかは難しいことだった。そこで被差別部落解放をめざす運動自体にたいしてではないが、その運動を支配している理念には疑念が生じたのである。被差別部落の存在解決構想に問題があるように思えたのである。中上が文化運動的な視点で展開していた被差別部落の公開講座がぶつかったこととそんなに離れてはいないことだったと思える。被差別部落の解放運動を長年にわたって支配してきた理念に中上が抗うことを強いられたのは、この理念には幻想という存在に対する理解がなく、それを認識する方法がなかったためである。これは被差別部落の存在を本質的に理解する上で欠如をもたらすものであり、また、文学の役割や意味についての理解に関わるものだった。中上が路地を舞台に関わり展開してきた幻想の問題に関われないというか、相いれないことだったのである。この講座が吉本隆明の回で打ち切られたのは、その意味で象徴的であったと思う。
(評論家)
(つづく)







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