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評者◆秋竜山
やんごとなきお犬様のお食事、の巻
No.3142 ・ 2014年01月18日




■内館牧子『カネを積まれても使いたくない日本語』(朝日新書、本体八二〇円)で面白いページを見つけた。「桃太郎」について。
 〈ある時、「桃太郎」という唱歌(明治44年5月「尋常小学唱歌(一)」)に目が留まった。作曲者は岡野真一、作詞者は不詳だが、1番の歌詞は、猿と犬と雉子が桃太郎に「キビ団子を下さい」と言う。すると2番で桃太郎は答える。次の歌詞である。「やりましょう やりましょう これから鬼の征伐について行くならやりましょう」この詞を読んだ時、「あれ?」と思ったのである。〉(本書より)
 この部分に、「あれ?」と思わせる個所がどこにあるのだろうか。クイズにしても、まずわからないと思う。歌の文句に答えがある。
 〈というのは、私は昭和23年生まれだが、「あげましょう あげましょう」で習った記憶があるのだ。同年代の友人たちに聞いてもそう言う。元歌は確かに「やりましょう」だ。犬や猫には「やりましょう」なのだ。いつから変わったのか。あるいは私や友人の記憶違いか。〉(本書より)
 私も、「あげましょう」で習った。そんなことよりキビ団子とはどのようなものか。私の子供の頃は、戦後で、毎日、食べることばかり頭の中にあった。「腹へった」が口ぐせであった。そのキビ団子とはどのようなものか父に聞いた。すると父が、「そんな、うまいもんじゃないよ」と、いった。うまくなくても、食べたかった。
 〈ネットで検索してみると、「あげましょう」で習ったという人たちの声も出ている。すると、「日本語はおもしろい」の中に、興味深い文章を見つけた。著者の柴田武は、1994年に出版された東大助教授の菊地康人の「敬語」という本を取りあげている。その中でも桃太郎の「やりましょう」が話題となっており、菊池は「黍団子を報酬として〝雇用関係〟を結ぶという〝取引〟〝契約〟の対象として人間なみに動物を扱い、しかもその相手に面と向かって交渉する場面なのだから、「あげましょう」ぐらい言って当然ではなかろうか。ただのポチに「ご飯をあげる」のとは違うのである。〉(本書より)
 桃太郎の犬の場合は、ポチではなかったのだ。ポチだったら「やる」でよいのである。猫でも「やる」でよい。話はまた、元にもどるが、あの当時のハラペコ児童にとっては、キビ団子で桃太郎のお供になっただろう。その当時の犬や猿や雉子もやっぱりハラペコだっただろう。そして、今の時代は、飼っている犬や猫を、「うちの子は」と呼んでいる。そして、「エサ」なんて言わない、「お食事」である。「エサって何のことだ」と、犬や猫が言ったとか、言わなかったとか。
 〈どうも釈然とせず、岡山県の「桃太郎のからくり博物館」に連絡し、館長の住宅正人に問うてみた。「私が知りうる限り、どんな資料にも「あげましょう」という表記はありません。歌詞として表記されているのは「やりましょう」という言葉のみです。〉(本書より)
 飼っている猫や犬に「あげましょう」「やりましょう」と、使いわけてみたらどうか。やっぱり反能が違うか。「あげる」といったのもは食べて、「やる」は食べなかったりして。これも日本語か。







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