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評者◆三上治
中上健次の思想的格闘――中上の作家としての活動は、幻想を紡ぎ続けること
No.3140 ・ 2014年01月01日




(3)原基としての被差別部落

 中上健次の1970年代後半から80年代前半は、作品的に言えば『枯木灘』から『地の果て 至上の時』までだが、内面的には苦しい時期だったと推察される。彼は作家としては『枯木灘』の成功もあり、声望も高まってはいたが、作家としての基盤的な危機に直面していたと言える。これは彼固有のものでなく、時代的なものであって、大きく言えば高度成長とサブカルチャーの興隆が文学や文化の基盤にもたらしたものであり、ある意味では現在まで続いていることなのだ。
 彼の放浪的な生活スタイルはあまり変わらなかったが、行動範囲をアメリカや韓国に広げ、物語(歴史)に自己の基盤を見いだす努力をしながら、あらためて自分の出生の基盤に帰ろうとする試みを繰り返していた。経済の高度成長が消費優位社会を生みだしていく過程は彼の文学的基盤を切り崩すように現れたが、深刻だったのは彼の育った路地の解体と消失がここに重なってもいたからである。それは大きな枠組みでみれば高度成長という時代の動きに関連するものであったし、現実的には食いとめられないものだった。彼は彼の流儀で闘ったのであるが、敗北に直面するしかなかった。
 この時期に彼は『鳳仙花』、『千年の愉楽』、『熊野集』などの作品を書いており、作家としての力に驚くが、その背後で思想的な格闘を演じていたのである。僕は個人的には『千年の愉楽』が全作品の中で最も好きだし、最高のものだと思っている。彼の直面していた危機の問題にも少し言及してみたい。
 彼の思想的な格闘は、この時期の対談などの発言でうかがうことができる。中上のエッセイや対談は彼が「俺は批評家でもある」と自認するほど評価できるとは思わない。彼は作家であって、批評家ではなかったと言うほかないが、対談などの発言は面白いし、今となっては貴重な資料と言える。例えば、79年の「アメリカへ――破壊への衝動」と題された対談がある(相手はスガ秀実)。ある雑誌のインタビューであり、その当時に読んだような気もするが、今は対談集に組み入れられている。彼の直面しているものを伝えてくれる。
 彼はこの時期、しきりにアメリカ行きを語っていたらしいが、それを亡命のごときものと語っている。
 「亡命と言ったのですが、分かりやすく具体例を出すと、東京に住んで小説を書いている。この小説の舞台の悉くは紀州の新宮の路地をめぐって書いているわけです。さながらカフカのゲットーみたいなものを延々と書いているわけです。(中略)その路地というのは初めて言うので驚くかもしれませんが、被差別部落を原基としてぼくの小説の中で構成されたもので、小説上の路地とは現実と違い様々の物語の錯綜する場であり、運動の場所であるような捉え方をしているわけです。そこを舞台に、この間、新宮で部落青年文化会を組織しまして様々なことをやってみたのです。(中略)その部落青年文化会が組織の常として壊れてしまった。そのことともう一つ、路地そのものが、あるいは部落そのものが、行政といわれるものによって消えることになった。断腸の思いです。」(中上健次全発言Ⅱ)

(4)幻想としての路地

 中上の作家としての歩みは自分の少年期の世界を書こうとしたところから始まっているが、被差別部落を原基とする路地を創出し、その物語を書くことにほかならなかった。別の言葉で言えば、原基としての被差別部落を路地として幻想化し、物語として表現することを発見し、続けてきたということである。彼が、路地は「僕の小説の中で構成されたものである」というとき、幻想として取り出したものだと言える。これは被差別部落を本質的に成り立たせている幻想を意識的に小説[物語]として取り出したということになるが、見えないものとして幻想を意識的に取り出したということである。この営みが部落青年文化運動の組織との軋轢での挫折と、路地の原基たる部落の解体と消失で心的には亡命というほかないところに追いつめられているというのだ。路地という幻想の基盤、彼の感性的基盤の解体と消失にほかならないからであり、文学的表現(表出)基盤の解体としてやってきたからだ。
 彼が路地を創出したのは幻想的な行為である。この存続としての危機は作家としての中上の危機であり、路地の原基となった被差別部落の住民とは距離のあることだったのかもしれない。その辺の事情を彼はよくわかっていたのであろうが、彼には二重の意味で重要だった。一つは、被差別部落が幻想を本質として成り立ち、そのことによってしか部落問題が解決しえないということに影響することである。彼は被差別部落の存在とその解放の問題を既存の理念(部落解放の理念)とは別にとらえていた。彼には幻想(文化)という観点があったのであり、彼の部落青年文化会の問題に作用したことでもあったと推察できる。もう一つは、彼の作家としての活動は幻想を紡ぎ続けることだから、その基盤の喪失は作家としての存在の危機に直結するものだった。この路地の解体と消失は大きな枠組みで言えば、先にも述べたように高度成長による農村の解体の進展、それを基盤にした幻想的な世界の解体や消失に連動するものだった。高度成長と正統文化の解体の水位が増し、あらゆる地方に浸透して水浸しにしていくようなものである。豊かさという幻想の浸透が、時代の幻想を解体し、空虚の拡大を深めていったことと重なるのだ。貧しさや暗さが消えて、軽さや幸福感の肯定が浸透していったことでもある。
 中上は場をアメリカや韓国などに広げることで、この危機に対応しようとしたが、他方で歴史(物語)につながることを志向した。「物語」は彼の思想的なキーワードでもあったが、物語とは幻想であり、その基盤を歴史に見いだすことでそれを紡ぐ基盤の再生に向かったのだ。中上にとって路地は物語(幻想)の場であり、その解体や消失に対して、空間的に、そして時間的に場を拡大することで対応しようとしたと言える。時代は物語の解体を進める。だから幻想の拡散と空虚化の進展の中での抵抗であったことは間違いないが、これが困難な所業であったことも確かである。
(評論家)
(つづく)







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