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評者◆三上治
中上健次の苦しみ――高度成長とサブカルチャー興隆の時代の中で
No.3138 ・ 2013年12月14日





(八)ふたたび、中上健次をめぐって

(1)『枯木灘』の達成と危機

 『枯木灘』が中上の作品の中で最高傑作と評する人が多いことは前のところで記したが、秋幸三部作の最終作と言われる『地の果て 至上の時』までにはかなりの時間が経っている。『岬』から『枯木灘』への展開を考えてのことだが、ある意味では『地の果て 至上の時』の後ということに関わることかもしれない。高度成長とサブカルチャー興隆の時代の中で、彼の文学的表出の感性的基盤が解体にさらされ、否応なしに内的な危機に直面したということにほかならない。彼は『枯木灘』の達成が、同時に文学的な内面の危機を深めていることに自覚的であったと思う。これは彼が戦後生まれで最初の芥川賞作家として評価や地位が確立していくのとは関係ないことだった。中上はこの期間に優れた作品を残してはいるが、彼の内面はとても苦しい時期であったと考えられる。この時期にノイローゼ状態に陥ったことがあると告白している。欝状態にあったという指摘もある。外観的には中上の行動形態や振る舞いは変わらなかったのかもしれないが、内面的には危機感にさらされていたと思える。
 1970年代後半から80年代前半の時期、中上は色々な試みをやっている。77年の春から頻繁に渡米し、79年には一時、ロスアンゼルス郊外に移り住むが長くつづかなかったようだ。彼のアメリカへの関心は高く、後に石川好との対談『アメリカと合衆国の間』も86年に出す。これを僕は企画したが、後に触れる。彼のアメリカ行きは時代的、あるいは都市的なものをつかみたいということだったのだろうが、成功したとは言えない。
 また、韓国にもしばしば出掛けている。「東京新聞」のルポ(「風景の向こうへ韓国の旅」)が最初らしいが、81年には長期滞在し、『地の果て 至上の時』を書き始めている。中上は時代の変貌に対応しようとしたのであろうが、アメリカと韓国との関わりの差異は興味深いところだ。また、紀州に生活も含めた活動拠点を設定している。彼は熊野市や新鹿などに活動場所をつくり、転々としていたが、故郷の「路地」の解体、消失という事態に立ち向かっている。「1977年、中上の生まれ育った和歌山県新宮市の被差別部落春日で地区改良事業の基礎調査がはじまり、翌年には春日に改良住宅が建設される。見た目には、路地の解体はもう止めようもなかったのである」(『中上健次論』・守安敏司)。これが彼に与えた影響は大きい。
 中上は差別問題への言及もはじめている。野間宏・安岡章太郎との鼎談「市民にひそむ差別心理」で言及(77年3月号の『朝日ジャーナル』)。そして、これを契機に熊野・紀州を舞台とする作品も展開される。さらに、78年には「部落青年文化会」を組織し、何回かにわたって講座はひらかれた。彼は近代の正統文化や物語に、感性的基盤を意識に掘下げ、それに依拠することで対抗しえたにしても、サブカルチャー的なものへの対応には戸惑いのようなものを持っていたとも推察される。

(2)『鳳仙花』について

 中上は酒を飲み始めると書けないと言っていたから、いつ、どこで書くのだろうと思ったことがある。彼とよく飲み歩いたころに得た感想であった。中上の行動と文学的な表出感覚には独特のものがあり、そこは今、彼の作品を読んでいても感じる。『枯木灘』から『地の果て 至上の時』までの間に、彼は『鳳仙花』、『熊野集』、『千年の愉楽』、『紀伊物語』などを書いている。さらに対談やエッセイ等を含めればもっと多彩になる。
 が、ここでは『鳳仙花』から見てみたい。この作品は実の母ちとせをモデルにした作品と言える。中上の作品の中でも上手く系譜づけられないと言われるが、もちろんフィクションである。ある時、中上と話していたら、母親のところに花束を持ってくる奴がいるのだよ、何を考えているのか、と言っていたが、それだけこの作品がある意味ではよくできている、ということなのだろう。中上の小説がどんなに私小説的に見えようと、それは彼の想像力の産物であり、モデルと実在とは違うものだが、読者が同一と錯誤するのはそれだけ作品が優れているということである。
 この作品は母ちとせをモデルにした主人公フサの物語である。波乱の人生を生きた母の物語であるが、影のようにある秋幸の物語でもある。かいつまんで言えば、フサは紀州の南の古座に生まれた利巧な娘であったが、15歳の時に新宮の材木商に奉公に出る。そこですぐ上の兄の朋輩である勝太郎と知り合い結婚する。5人目の子供が生まれた昭和16年の秋に勝太郎は急死し、女手一つで子供を育てたが、末の子供はなくなり、秋幸の父である浜村龍造と出会う。龍造が刑務所に入っている間に秋幸を生むが、龍造には他に女がいることを知って別れる。そしてやがて竹原繁蔵と結婚することになる。これらはある意味で中上の小説に繰り返し出てくるものであるが、『枯木灘』の前の秋幸の幼児時代が描かれているところが目新しいと言える。この母物語を中上は次のように述べている。
 「この鳳仙花というのは、単に韓国だけの花じゃなしに、東南アジア一帯に咲いている花なんですよ。そういう意味では母権思想とか、農耕とか、水と火に対する信仰とかいう、その象徴みたいなものとして、僕はタイトルをつけたんですよ」(『東洋に位置する』中上健次・尹興吉)。中上は少し解説しすぎかなとしながらも、母権的な存在をイメージして、と述べている。母権思想というよりも、中上の母親との関係における欠如も含めた意識の希求が色濃くあると言うべきかもしれない。無意識の方に意識の世界が向かわざるを得なくなっている現在を象徴しているとも言える。古代と母親との原初の関係は重なるところがあるからだ。その意味でこの小説の最後の方の場面、つまりフサが秋幸を入水自殺に誘おうとした場面は考えさせられる。中上と母との関係を暗示しているからだ。
(評論家)
(つづく)







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