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評者◆秋竜山
面白い修行、の巻
No.3138 ・ 2013年12月14日




■昔、禅の大家と対談した時、これは無学な私のもっとも悪いところであるが、口から出まかせを言ってしまった。「禅とはナンセンスの世界ですね」。対談の始まったばかりであった。これには、禅の大家である禅僧も、顔色をかえておこるような口調で、「禅はナンセンスではありません」。私は、あわてた。このような偉い人をおこらせてしまって、どーするんだ!!と、いう気持。どーしたらよいんだ!!と、いう気持。私がナンセンス・マンガ家という肩書きであったことから、「禅はマンガではありません!!」と、腹を立てたのだろう。その対談はどーなったか。お互いに笑いながら終わったのだから、まずはよかったということになった(のだろう)。禅がナンセンスであるかどうかは、そっちへ置いておいて。 内田樹『修行論』(光文社新書、本体七六〇円)の面白さは、ナンセンスの面白さである!!と、いったら著者に叱られるかもしれない。理屈の面白さといったら、さらにお叱りをうけそーだ。気の小さい私が、なんてことを。修行というものは面白いものだ!!もいけないのかしら。修行というものを面白がってはいけない。本書を読みすすめていくと、やたらと面白い。面白くなかったら本ではないというのが私の持論であるから、それにかなっているといえよう。
 〈沢庵は「住地煩悩」と呼んだ。「不動智神妙録」に沢庵はこう書いている。(略)斬りつける刀にとらえられ、それがどういうコースを取るか、どこに打ち込んで来るのか、どうかわせばいいのか、そういったことを考量するのは、刀に「居着く」ことである。刀に繋縛され、心身の自由を失った状態、「住地煩悩」である。これに対して、完全な自由を成就した状態は「石火之機」と呼ばれる。(略)「石火之機」とは「間髪を容れず」のことである。「右衛門と呼びかけられて、何の用にてか有る可きなど思案して、跡に何の用かなどいふ」経時的過程では、「右衛門」と呼びかける他者からの「入力」がまずあり、それに対して「何の用か」と問い返すという主体からの「出力」がある。この「入力と出力とタイムラグ」、「主体と他者の二項関係」それ自体を、沢庵は住地煩悩とみなす。(略)沢庵の回答は、「右衛門とよびかくると、あっと答ふる」に尽きる。間髪を容れずに答える。入力と出力のタイムラグをゼロにすること。それが答えである。〉(本書より)
 なるほど、そーいうことかで、済ませてしまえばよいのであって、その後に「ナゼ」なんかをつけると、わからなくなってしまうおそれがある。そういう理屈である。
 話は全然ちがうが、昔、子供の頃に、私は初めて沢庵禅師を見た。名を知ったのではなく、姿を見た。〈少年・宮本武蔵、小山勝清作、伊藤幾久造画、光文社の絵物語、単行本・昭和三十年五月十五日初版〉。当時、流行した絵物語りであり、伊藤幾久造が、沢庵禅師を描いている。私にとっては、沢庵禅師といえば、子供の時に見た沢庵禅師の絵が頭からはなれない。その後、いろいろな沢庵を絵などで見ているが、私には子供の時の沢庵の印象が頭に焼きついて強烈である。だから、本書における沢庵も、子供の頃に見た沢庵が頭に浮かんでくる。







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