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評者◆池田雄一
だだ漏れから逸楽へ!
No.3138 ・ 2013年12月14日




 ――立木康介氏による「文藝」での連載が、『露出せよ、と現代文明は言う』(河出書房新社)としてついに出版されました。彼は『精神分析と現実界』(人文書院)の著者でもあります。
▼この本の場合、ジジェクのような胡散くささがなくて、むしろ極めてまっとうな時事評論として評価できるつくりになっているよね。ラカンの精神分析理論を、いたずらにドグマ化せず、最新の動向にも目配りしながら、精神分析という行為が社会的に無効化していく状況を、冷静に見据えている。偉いよね。
 以前この時評で話したことだけど、現代美術においては、オブジェクトというものが、端的に屍体のようなものとして提示されている場合がある。「人体の不思議展」みたいなやつだよね。そのオブジェクトというか、屍体のようなものが、小説に登場するようになった。典型的なのが、木下古栗の小説だよね。
 この本では、「人体の不思議展」とも関係のあった、グンター・フォン・ハーゲンスという解剖学者のことが出てくる。この人は、プラスティネーションという遺体保存の技術を開発した人なんだけど。立木氏によれば、現代における芸術のあり方が、「表象」から「展示」へと変わってきている。
 たとえば絵を描く場合でも、「表象」においては、何か見たものについての「印象」をいかに作品にするのかというのが重要になるよね。この場合、作品は作者が見ていたもののメタファーでもある。「展示」においては、メタファー化していく過程がスルーされて、オブジェクトが文字どおり即物的に展示されている。
 太田靖久の「コモンセンス」では、体験型のアートが登場していたけど、その体験というのが「洗脳」に直結しているのが印象に残っている。これもたぶん展示タイプの芸術だよね。
 こうした現代美術における傾向がある一方で、最近すごい勢いで増加している、ネットを介在して自分のプライベートをすべてさらけだすことがクローズアップされている。
 文学において、こうした傾向に近い作品は、やはり木下古栗の小説だと思う。彼の小説というのは、何かが「だだ漏れ」になっているような気がしてならない。それが何なのか、よくわからないんだけど。
 ――リビドーでしょうか。小説は展示的なアートについての小説であると同時に、作品そのものが展示的であるということですよね。他に似た傾向の作家っているんですか。
▼間違っているかもしれないけど、舞城王太郎もそういう印象がある。中原昌也は、ぜんぜん違うタイプの作家だと思う。あと村上春樹の場合、短篇だと「表象」よりの作風で、長篇だと「展示」よりの作風になる。
 ――今月の作品にもありましたか?
▼今月だと、荻世いをら「宦官への授業」(「文學界」)はそんな感じがする。彼のデビュー作である「公園」なんかは、「表象系」だったような気がするけど、いつのまにか逆の方角に舵をきっている。この小説では、宦官らしき爺さんが出てくるわけだけど、本当に宦官なのかどうかはサスペンドになっている。そりゃそうだよね。見て確認するわけにいかないんだから。そしてそのこと自体が、去勢のメタファーになっている。主人公は、この爺さんに家庭教師として世界史を教えるんだけど、そのときの爺さんの態度の悪さが最高なんだよね。
 一方で、主人公は点字を習い出すんだけど、点字を読む指の動きというのが、この作品では男性器の象徴となっている。それにしても去勢という主題のせいか、解剖アート的な空気が全篇を通じて漂っている。
 そう言えばこの作品もふくめて、今回の「文學界」は、何だかとても充実していたよね。
 ――文學界新人賞は前田隆壱「アフリカ鯰」と守島邦明「息子の逸楽」の二作が同時受賞しましたよね。奨励賞も野上健「走る夜」の一作で計三作が受賞しました。
▼「アフリカ鯰」も面白かったよね。ITバブルの時期に、ほとんど詐欺に近いような形で金儲けをしていた人びとが、そのことによって現実感を喪失して、投げやりな感じでアフリカに移住する。この「アフリカ」というのが曲者で、どのような場所なのか、ぜんぜんイメージできないんだよね。イメージできないから、逆に現地の殺伐とした雰囲気が伝わってくる。アフリカに行っても、そんな状況は変わらない。アフリカで生き生きとした何かが回復するという話じゃない。この殺伐とした空気って、どこか村上龍の小説に似ている。
 ――「息子の逸楽」はどうでしたか。
▼これは、かなりの力作と言ってもいいのでは。よくこんな新人が出てきたなと思う。一般的な小説がもっているイメージを崩していく側面がある一方で、ものすごくアナクロニックな小説とも言える。
 いつのまにか母が狂ってしまって、その母のことを、言わば介護しているんだけど、介護という一般的な了解に入らないような、のっぴきならない関係性というのが、最初の一行目から全開になっている。
 この作品のように、固有の経験を表現するにあたって、あえてその固有性を剥奪するという手法が、ずいぶんと目立ってきたね。具体的には、黒田夏子の『abさんご』が典型だと思う。ある意味、あんなにセンチメンタルな作品ってないでしょう。一方で、固有の存在が一般名へと変換されていくという主題を、そのまま物語に導入したのが、澤西祐典の「砂糖で満ちてゆく」だよね。人体が砂糖になるという奇病に母親がかかる話だけど。あれは、気の弱い読者が読んだらトラウマになるんじゃないかと思う話だよね。この三作とも親をめぐる話だというのが面白いよね。
 「息子の逸楽」は、何というか、文章で削りだされた彫刻というイメージがある。漱石の「夢十夜」じゃないけど、石や木の中に、何か大事なものが埋まってるはずだと、作者が確信しているような気がする。
 たとえば接客業の男性が、女性客相手の仕事でなくても職業病的についオネエ言葉になってしまうことってあるでしょう。オネエ言葉って語尾が豊富だからコミュニケーションに適しているんだよね。この時評でも、たまに使いたくなる時があるのよ。でもこの作品の文体というのは、そのような豊かさを削りに削っている。その結果として、母の「手」と「顔」がものすごい存在感をもって浮かびあがってくる。本当にいい作品だよ。
 ――今回は大豊作の「文學界」ですが、松波太郎氏の「イベリア半島に生息する生物」も掲載されていましたね。
▼松波氏にとっては『よもぎ学園高等学校蹴球部』(文藝春秋)以来、久しぶりにサッカーがでてくる話だ。
 ――最近、海外にサッカー留学をする人って増えているんですが、留学したはいいけれど、何にもならなかったというケースが多々あるみたいですよね。サッカーの成果なんてのは、まったくない状態で帰国する人が大半と言っても過言じゃないと思うんです。この小説は、そのような背景をふまえて書かれているのではないでしょうか。
▼なるほど。それにしてもこの小説、後半は、ほとんど走っているだけだよね。人が走っている小説というとアラン・シリトーの『長距離走者の孤独』を思い出すんだけど、あれって実際はただ延々と愚痴を言っているだけで、ぜんぜん走っている感じがないんだよね。つまり身体的な運動性がまったく感じられない。じゃあ、身体的な動きをそのまま描写すれば、読者は運動した気になるのかと言えば、そうはならなくて、むしろ自分が機械になったような違和感を感じる。ところが、この松波氏の小説はなぜか読んでいて走っている感じになる。
 立木先生の話をまた使わせてもらうけど、彼は人間の身体には二種類あるという説を紹介している。ひとつは生物学的な身体。これは人間が動物として生きるのに必要な機能をつかさどる身体のこと。もうひとつは、リビドーの流れが走っているような、いわばエロス化された身体。人間の身体だと、生物学的な身体がエロス的身体に寄生されつつ、やがて乗っ取られる過程があるらしい。何だかラカンが言っていた「ラメラ」を思いだすよね。その乗っ取りに失敗すると、ヒステリーのように、ある身体の一部分が硬直したりとか、意味なく咳が出たりとかの症状が発生するらしい。
 松波氏は言葉によってエロス的な身体性を表象にするのに成功しているんだよね。しかも、自分の身体がリビドーに乗っ取られている感じも、かなりキテいる。「頭部はもちあがりたがる。頸部がのびたがる。」なんて書かれているところはまさにそうでしょう。
 ――そのほかの文芸誌の作品はどうでしょう。
▼「すばる」にはいとうせいこうの「鼻に挟み撃ち」が載っていたけれど、これはタイトルからわかるように、後藤明生へのオマージュだよね。かつて蓮實重彦が、日本の文芸評論には、小林秀雄的な「兄」はいたが、父親的な存在はいなかったと言っていたけど、その流れで言うと、後藤明生というのは、日本文学における「母親」なんだと思う。
 ――「群像」に掲載されていた広小路尚祈「じい」なんてどうですか。やはり父親的なものの不在を扱っているようにも見受けますが。
▼一言でいうとマスオさん小説だよね。男の作家が「俺」という一人称を書くと、「俺」という存在が、いかに去勢されるかという話に落ちていく傾向があるよね。この小説では、車と電車の対比が効いているんだよね。車って運転する人間の主体性があるから、去勢された人間像とは結びつかない。一方で、電車というのは、ただ一方的に運ばれるだけなんだよ。ラストでは、小さな反抗として、息子と新幹線に乗るんだけど、結局はボーっとしちゃうんだよね。
――つづく







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