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評者◆鳥居貴彦(恵文社バンビオ店)
思想が、想いが、言葉が、あふれている
未明の闘争
保坂和志
No.3138 ・ 2013年12月14日




■中学生の頃だったか、村上春樹の『ノルウェイの森』を読んだ。いや『ねじまき鳥クロニクル』だったか、もしかしたら『象の消滅』だったか。とにかくタイトルすら記憶に残らないくらいわからなかった。ストーリーを言えと言われれば答えられる。なにが起きたのか、あるいは起こらなかったのか。男がいて、寝て起きて散歩して、それぐらいはバカな中学生でもわかる。ほわわんとした読後感。でもその裏にある伏線だとか、そんなものはよくわからなかった。
 それ以来、いわゆる文芸作品に対してちょっとした距離を感じていたのだが、先日、ひょんなことから保坂和志さんのトークショーに参加する機会があった。休憩をはさんで二時間、そして打ち上げまで、のらりくらりと思いつくままにしかしパワフルにしゃべり続ける姿にただただ圧倒された一日だった。保坂さんのお話を聞きながら、文芸作品というものに対する緊張感のようなものが解きほぐされていく気がした。
 『未明の闘争』は、文芸誌「群像」で連載が始まったのが二〇〇九年の一一月号。それから三年半。三年あれば考え方やものの見方は変わることもある。小説の書き方だって変わるし記憶も曖昧になる。三年前の作者と書き終えた頃の作者ではまったく違った書き方をすることもあるのだ、と保坂さんは言う。ここは夢の話だ、とはっきり描きたいときもあり、夢なのか現実なのか曖昧なまま話を進めたいときもある。ときにまったく別の人間が書いたような文章が冒頭と終盤で混在する。ネコのことを描きたいときもあれば、友人の葬式について書きたいときもある。急に松井秀喜と長嶋茂雄の素振りについて語りたくなることもある。
 そんな小説だから、文中に登場する「篠島」の読み方が、「シノジマ」ではなく「シノシマ」であるのはどういう意味かといった解釈は意味がない。そこにはきっと深い意味はない。
 小説とは著者の主張を書くものではない。一つの思想について書きたいのなら小説でなくていい。いろんな考え方があって、いろんな人間がいるのが小説であって、そこには解釈は必要ない。いろいろある。それでいいじゃないか。
 例えば小説の冒頭、池袋のスクランブル交差点のシーンでは一五行に一七人もの人物が登場する。また、主人公が“女の子のいる店”で柳春に聞かされる混沌とした「自我と体と霊魂」の話は、言葉が無鉄砲に飛び出してくるばかりではっきり言ってよくわからない。とにかく言葉があふれている。そこで彼女がなにを言いたいのかよりも、とにかく思想が、想いが、言葉が、あふれている。
 全体を通じてそんなごちゃごちゃした小説なのだ。そして私たち読者はそのごちゃごちゃを整理して理解しようとするのではなく、ごちゃごちゃのまま受け止めればいいのだろう。
 たとえ五〇〇ページを超える大作であっても、立派な文芸賞に選ばれていても、最後は著者と読者の対話である。この作品が文学界にどんな影響をあたえたか、そんなことは実はどうでもいい。のらりくらりと身を任せて味わいたい。ほわわんとした読後感。それでいいじゃないか。







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