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評者◆三上治
「現在」という作者とは何か――吉本隆明『マス・イメージ論』について
No.3136 ・ 2013年11月30日




(11)カフカの「変身」分析

 神保町の古本屋街はいまでもよく出かけるが、文化の中心というイメージはなくなった。本の位置の変化は、文化のサブカルチャーへの移行を象徴させることができる。『彼女たちの「連合赤軍」』の中で大塚英志は、左翼言語を記号としてしか読めないと書いていた。それは精神的な、こころの動きとしては読めないということであり、ある意味では彼にとって死語としてあるということでもある。
 1970年代後半から急速に広がったのは意識空間(幻想域)の変容であり、正統文化がサブカルチャーに主役が取って代わられていくのはその象徴であった。意識における空虚の深化であり、中心軸なき意識の拡大であった。集中から拡散へという戦後のナショナリズムの形態としてよく指摘されたが、もはや拡散という概念ではとらえることが不可能になった。意識形態の変容はこれまでの概念ではとらえられない、新しい時代の到来を感じさせるものであったために、その認識と理解には自己の依存してきた方法の解体をかけて挑む以外には手のないものだった(自分たちの言語が通用する帯域に住人として立て籠るのを別にすれば)。意識(幻想)の動き(流れ)に自己解体を迫られるものとして現象した。
 その意識の流れというか、動きに対応するのにどうしていいか分からなかった。当時、僕は時評のような仕事をしていた。毎月送られてくる雑誌などを読んではいたが、何かが違うと呟いて佇んでいたように思う。この思いは現在まで続いている。
 吉本の『マス・イメージ論』も当時、一通り読んだが、とても難しい本だと思った記憶がある。吉本の本の中でもその印象の強かったものである。
 意識(幻想)の領域が経済の高度成長に対応するように拡大し、流れが速くなり、僕らは意識の変容として感受していた。これを現在という共同幻想(集団意識)の析出として吉本はやろうとしたのだが、成功したとは言えないかもしれない。今という時代の分からなさの起源がこの頃にあり、今をまだ現在という概念で析出する多くのヒントがあることは間違いない。時代の方からこの本の読めるようになることもあるのではないか。
 この本の冒頭に「変成論」と名付けられたカフカの「変身」の分析がおかれているのは興味深い。彼は意識(幻想)の加速的な拡大と変化を世界の変成として捉えている。世界の変成状態でのありようとしてカフカの「変身」を取り上げているのだ。世界の変成に対応できない、あるいは対応した人間が精神分裂的に現れるほかない状況を象徴させてもいる。生産過程の変容を生産の循環の速さとし、そこから発生する適応症の問題を指摘していることと関連すると言えるだろうか。「変成のイメージは現在が人間という概念の上に付加した、交換不可能な交換価値なのだ」(『マス・イメージ論』、変成論)。

(12)「近代的思考」について

 『マス・イメージ論』で吉本が繰り返し展開しているのは、これまでの概念では現在の認識や理解が不可能であるとしているところである。そのためにつぎのような方法を取った、と記している。
 「カルチャーとサブカルチャーの領域のさまざまな制作品を、それぞれの個性のある作者の想像力の表出としてより、『現在』という大きな作者のマス・イメージが産みだしたものとみたら、『現在』という作者ははたして何ものなのか、その産みだした制作品は何を語っているのか。これが論じてみたかった事柄と、論じるさいの着眼であった」(マス・イメージ論、あとがき)。
 現在という大きな作者という言葉は、『共同幻想論』の「共同幻想の逆立」からは理解しやすいのだが、逆立論が大きな反発に遭遇したことを考えると難しいのかもしれない。共同意識(集団的意識)は個人意識の集合という面があるが、同時に個人意識を超えて向こうから個人にやってくる面もある。「現在という作者」は、歴史的な流れの中にあって現在を構成する意識という面が考えられているのであり、個人意識の延長上ではつかめない。個人意識で全てが理解できるという近代的思考そのものでは、現在という世界には届かないところがあるのだ。現在の認識や理解が僕らに難しいのは、その時間的な流れが速いこともあるが、僕らが無意識も含めて自己意識の延長上で現在がとらえられるという近代的思考が関わっている。意識が時代に向かって開いていくには思考方法を変えなければならないのだ。
 『マス・イメージ論』で大きな位置を持っているのは「停滞論」である。停滞という形で批判的に展開されているのは、反核運動等であり、『「反核」異論』として大きな論争にもなった。埴谷雄高や大岡昇平との論争にもなったことに関連するが、まとめて次回に触れる。
 『マス・イメージ論』は比較的分かりやすい項目と難解な項目とがある。「停滞論」「差異論」「喩法論」などは比較的分かりやすいかもしれない。「差異論」では、革命的であるという概念は政治制度の世界でも文学の世界でもなくなってしまった、と指摘されている。納得のいくことである。だから、いまでも革命的であると思っている面々は古びた記憶や仲間同士の繰りごとに退行している。革命的になり続けることだけが可能で、そのためには根本的な差異線を探せと指摘される。「〈科学的〉ということと〈信〉とは同時に二重に否認されなくてはならない。そこでだけ差異線は引かれる身体」(『マス・イメージ論』、差異論)。これは理念的宗教と宗派的政治のことであり、現在の党派のことである。差異線を引くことと党派の否認は同じである。何らかの運動にでも関与すればすぐに気がつく。
 「喩法論」は女流詩人などを取り上げているのだが、「喩は現在から見られた未知の領域、そのきたるべき予感に対して、言葉がとる必然的な態度のことだ」(『マス・イメージ論』喩法論)。言葉が意味を失い、失語状態にあることを超えうるものは現在では喩でしか可能ではない。表出感覚は喩という形で現れることが不可避であり、言葉の現在は今もこれを超え得ていないと思う。
(評論家)
(つづく)







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