書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆三上治
幻想の過剰生産の時代に
No.3135 ・ 2013年11月23日





(9)アルチュセールの重層的決定論への吉本の対抗

 経済の高度成長は、一般的な概念としては資本主義の高度化という言葉であらわされていたが、この高度化は発展一般ではなく、資本主義のイメージ(像)や概念の変容として現象した。プロレタリア像から社会像にいたる古典経済概念の修正、別の言葉で言えば解体を迫るものであった。根底には生産概念の変容、消費概念の登場があった。吉本は、消費を遅延された生産として生産概念の中に繰り込みながら、その変容をとらえようとした。超資本主義という概念はそれをしめしているが、分析方法として政治経済学や社会経済学に対して産業経済学的な方法を提起している。多分にフーコーの影響が感じられるが、経済過程のより自然史的な析出を試みたものであったと言える。また、価値法則の問題に贈与価値を提起した。高度成長過程の中で、古典経済学的な社会像が解体を迫られることを多くの人は何らかの形で気づいてはいたのだと思う。古典経済学的な像の中にはマルクス主義的な像も含まれることは言うまでもない。この問いはバブル経済の崩壊以降の経済的停滞の中で混迷しているが、今日まで続いている。経済の高度成長過程は特殊な過程であり、そこで生じたことは普遍化できないという立場も含めてである。
 吉本は幻想過程と言うべき領域に多くの思想的な関心を寄せてきた。幻想域という言葉でもあらわせる。高度成長期での幻想的な世界の問題に関心が寄せられ、『マス・イメージ論』などの著作や、激しい批判をともなった『「反核」異論』等も出された。埴谷雄高や大岡昇平などとの論争も展開された。吉本は幻想過程を経済過程に還元されるのではなく、幻想域として独自展開をなすものであるとしていた。このころ出された本の題名に『重層的非決定』と名付けられたものがある。アルチュセールの「重層的決定」に対抗したものであり、吉本の立場をあらためて表明したものである。ただ、吉本は『共同幻想論』の中でこうも述べている。
 「そういう幻想領域をあつかうときには、幻想領域を幻想領域の内部構造として扱う場合には、下部構造、経済的な諸範疇というのは大体しりぞけることができるんだ、そういう前提があるんです。しりぞけるということは、無視するということではないのです。ある程度までしりぞけることができる。しりぞけますと、ある一つの反映とか模写じゃなくて、ある構造を介して幻想の問題に関係してくるというところまでしりぞけることができるという前提があるのです」(吉本隆明『共同幻想論』の序)
 上部構造と下部構造の関係論(還元的・決定論的関係論)に強く影響を受けてきた僕らには、「しりぞけることができる」とか、「ある構造を介して幻想の問題に関係してくる」ということの理解が難しかった。だから、この後者の箇所は何度も読み直し、考えてきた記憶がある。吉本が高度成長以降の幻想領域の析出の中では、このことが意識されていたように思われる。アルチュセールの重層的決定論に対して重層的非決定と対抗しながらも、こういう変化はあったように思う。

(10)連合赤軍とサブカルチャー

 1970年代後半から80年代にかけて、幻想領域ではサブカルチャーの時代だと言われてきた。サブカルチャーとは正統的な文化に対する副次的な位置にある文化、かつてならそう考えられてきたものである。正統的な文化が停滞と解体の中にあって、サブカルチャーと呼ばれてきたものがその位置にとってかわるような現象が出てきたと言える。この兆候は以前からあった。よく言われるが、大学生たちが「マンガ」を読むのが広がったようなことである。このところは安保世代(60年安保闘争を担った世代)と全共闘世代との違いとして出てきていたことでもあった。知的大衆とでも言うべき層における変化であり、全共闘世代はその過渡にあったと思われる。
 大塚英志の『「彼女たち」の連合赤軍――戦後民主主義とサブカルチャー』はこの辺のことにスポットをあてている。この本は96年に出ている。だからある程度の時間的な距離をとって分析しているが、消費社会、あるいは情報化社会の進展が媒介されているといえよう。
 永田洋子も含めて、連合赤軍の兵士たちの意識(表出感覚)はサブカルチャー的なものであるとする。かつて60年安保世代においては現存する自由や民主制の感覚と呼ばれてきた表出意識(表出感覚)がより進展した形で存在したものと言える。だが、戦後世代のこの意識(感覚)はマルクス主義も含めた正統的な文化との格闘を余儀なくされ、粛清劇に出会ってきたと言える。連合赤軍事件や内ゲバは左翼運動の内部において現象したサブカルチャー的なものの粛清劇であり、永田洋子は自らを殺したのであり、正統文化(マルクス主義)への幻想が自らの意識(存在)を殺したのである。これはマルクス主義の権力観(フーコー的に言えば)が、幻想についての認識(吉本的に言えば)がもたらしたものである。安保世代から全共闘の世代に流れてあった戦後民主主義(表出感覚)やサブカルチャーの意識、そこから出てくる反抗の意識を自立にではなく、マルクス主義の意識の方にしか導き得なかった結果がここにはあるのだろうが、注目すべきは大塚にとって連合赤軍の理念(言葉)は記号としてしか読めないと語っていることである。これはサブカルチャーの時代に正統文化としてのマルクス主義の理念(言葉)は記号であり、ある意味で解体から死後への道を進めていたことを意味する。精神の動きを内在する言葉ではなくなっていったのである。精神的な重量が空になっているのだ。
 サブカルチャーの時代の根底には何があったのだろうか。人間が幻想(理念)を生命とする大量生産体制を出現させたということである。情報の高度化はその一つの表現である。幻想の過剰生産の時代に入ったことが、経済の高度成長に関係しているのだろうが、何を意味するのだろうか。吉本のこの時期の関心もそこに向けられていた。
(評論家)
(つづく)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約