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評者◆三上治
生産概念の変容の時代に――吉本隆明が指摘した矛盾
No.3134 ・ 2013年11月16日





(7)高度経済成長の二段階

 経済の高度成長には段階があって、70年代前半までと80年代後半にいたる過程とがある。後半は70年代前半の石油ショックを乗り越えてバブル経済の破綻にいたる局面と見なし得る。前半は「モウレツ」というCMに代表させてもよく、これを吉本は水や空気が商品として登場したことに象徴させていた。古典的な経済概念では水や空気はタダで、商品価値のあるものとは考えられていなかった。マルクス的な言葉で言えば、それらは使用価値があっても交換価値はゼロと見なされていたのである。これが交換価値を持つ商品として登場し、しかも広範に広がったのは古典的な経済概念の修正を促すものだと吉本は指摘していた。生産に対して消費が重要視されることにほかならなかったのであるが、根底には生産過程の変容があった。
 生産力理論という言葉があるが、生産こそがすべての源泉であって、生産力の不足と経済の貧困(矛盾)が結び付けられて理解されていた。そういう時代が長く続いていた。こうした時代にあって消費は浪費という観念と結び付けられていて、なるべく抑えるべきであり、節約された消費の余剰は貯蓄を通して生産にまわされるべきであるという経済通念が支配していた。消費の抑制(節約)は社会的な善(美徳)と見なされ、背後には生産力の拡大が結びついていたのである。経済の高度成長とは生産過程の拡大であり、高度化であった。だから、60年代に経済の高度成長が提唱された時に出てきた批判や懸念は、急速な生産の拡大が過剰な消費を呼び起こし、消費の節約=貯蓄=生産への投資という経済の循環を破綻させるというものだった。これは文字通り懸念に終わったのだが、経済の高成長とはなによりも生産の高度化であり、機械化と深く結び付いていた。
 例えば、僕の家は主にコメと蜜柑を生産する専業農家であった。50年代は家族労働を主とする生産様式(形態)をとっていた。アジア的な農業形態の典型であり、農繁期には僕も狩りだされて農作業を手伝っていた。農家としては貧しい方ではなかったであろうが、これ以上の生産の拡大は無理だろうと思っていた。家族労働の限界を見ていた。当時は農業の機械化など不可能と思えたからである。60年代に入り農業は急速な機械化が進む。想像外のことだったが、農業ですらこうした状態になっていったのであるから、重化学工業などの第二次産業では機械化(技術革新)による生産の拡大は想像以上のスピードで進んだのである。

(8)19世紀的な貧困に変わる精神的な病

 70年代の生産力の拡大は、対外的には日本の産業競争力を押し上げ、80年代の日米経済摩擦を生みだし、生産過程の変容を生みだしていく。農業では家族労働が機械化で軽減、短縮されていく。専業農家が少なくなり、兼業農家が増えていくが、農作業が全体として短く、速くなった。親族などの共同労働としてあった田植え等は機械を導入しての作業になり、長い時間を要した収穫作業も短縮された。農作業と季節の関係も変わっていくように現象した。農業とともに連綿と続いてきた多くのものが失われていく過程でもあった。過酷であったが、肉体労働の持つ牧歌性もあったが、それも失われる。
 第二次産業経済の過程では、生産過程の高度化は労働過程の機械化が進むと同時に、その生産過程の時間が速くなったのである。産業全体として見れば、ある製品の生産から消費にいたる循環が速くなっていった。歴史的な時間の流れが速くなったと言われることの根底には、こうしたことが存在したのである。第二次産業を中心とする生産過程の高度化の実態はこうだったが、基本的には社会の決定要因が生産の現場から消費の現場に変わっていくこととしてあり、吉本は消費産業の拡大という指標で分析していた。
 吉本は生産から消費への転換というように捉えているが、生産と消費を対立的には見ていない。彼は消費を遅延された生産と見ることによって生産概念が変容しているのだとした。人間と自然との関係が人間の再生産であるなら、この中には生命の再生産も含まれるわけで、狭義の生産は再生産の一部であり、消費も再生産の一部である。狭義の生産に人類がその富と力を注がざるを得なかったのは人類史の制約であり、その解放は再生産の構造の変化となってあらわれる。狭義の生産から消費という生産の拡大は必然であり、それ自体は肯定的に考えられるというのが吉本の考えだった。生産優位の社会から消費優位の社会を対立的にではなく、生産概念の変容(構造的変化)として考えるという対立的見方を止揚しようとしたのだ。
 狭義の生産優位の段階の社会にあっては、この段階に特有の価値概念がある。もちろん、人間の生産にまつわる価値概念と心的(精神的)な価値概念は即時的な対応をしない。生産優位の段階に対応する価値概念の問題は問われるが、生産優位の段階の価値概念にとらわれていなかった。
 前回とりあげた貧困と悲惨の問題は階級の問題でもあったわけだが、これはここで云う狭義の生産の生み出す問題でもある。この解決は生産力の拡大が不可避であり、そのためには社会主義が必要という理念もあった。資本主義は高度成長によって、貧困と悲惨の問題を全面的とは言えないが、ある程度解決した。80年代において、階級の問題がある程度は解決がついたと人々が考える感性的な基盤は広がったと言える。この問題は高度成長以降の停滞過程の中で格差や貧困の登場としてあり、検討は要するが、この段階ではこうした意識が広範に浸透していたと見なさなければならない。
 この過程で吉本が注目していたのは、19世紀的な貧困に変わる精神的な病であった。これは社会的な関係の病(関係障害)であるが、これを吉本は生産過程の高度化が生み出す産業循環の速さ、あるいはそれが生み出す歴史的な流れの速さに根拠づけていた。19世紀的な貧困から社会的な適応障害へというのが吉本の指摘していた矛盾である。この矛盾は歴史段階の生み出す矛盾でもあった。
(評論家)
(つづく)







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