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評者◆三上治
フーコーと吉本――二人の一致点と差異について
No.3133 ・ 2013年11月09日




(5)『言葉と物』の衝撃

 吉本とM・フーコーの対談はあまりかみ合ったものではなかった。吉本はヘーゲル―マルクスの意志論の継承ということを展開したのに対して、フーコーは「マルクス主義は政治的想像力を貧困にした」と応じた。どちらかというと、フーコーが分析哲学を使って現状に切り込もうとする実践性が伝わってきて印象深かったが、両者の思想が火花を散らすには何かの事情が挟まり過ぎていたのだと思う。吉本は翻訳を通してフーコーの著作を読んでいたが、フーコーはそういう機会はなかった。その後に機会があって、吉本に再度フーコーとの対談を持ちかけたこともある。吉本の拒否の態度にはこの事情があったのだと思う。
 ただ、フーコーについて吉本は構造主義も含めて「機能主義的」と批判していたが、対談前にフーコーの著作を読み直してそれを改めたと述べている。特に『言葉と物』にはかなり衝撃を受けたと語っていた。吉本はマルクスとマルクス主義を区別し、マルクスを継承するという考えに立ってきたけれど、フーコーはマルクスを19世紀の思想の構図の中に入れ、それを超える思想的方法を持っているのだ、と読んだというわけである。
 「言葉の法則である文法論と、分類の法則である博物学と、富の分析である経済学の三つを連結して扱えばいろいろなものが扱える。普遍的な方法として拘束力を持つものとして、『言葉と物』は大変な本だと僕はそのとき感じたんです。この本は使い方によっては、レーニンの『国家と革命』とは違った形で政治について一種のバイブルになりうる。それなのになぜ否定的な評価をしたのかと考えると、やっぱり恐かったんじゃないかと思うんです。こういうものは打ち消しておいた方がいい。フーコーはそう思ったんじゃないか、というのが僕の深読みです」(吉本隆明が語る戦後55年 4巻)
 「否定的な評価」とは、フーコーが対談前に吉本に対して『言葉と物』は失敗作であったと述べていることをさすのだが、フーコーが具体的なものへの分析に歩を進めると述べていることをも含んでいる。『言葉と物』の全体的な方法についてフーコーは懐疑的になっていたのに、吉本がそこにこだわっていたことの差は今も想起する。ヘーゲル―マルクスの方法によらないでは世界の総合的な認識は不可能としていた吉本だが、これとは系譜の異なる方法がフーコーにあると見て、その両者の関連を吉本は課題として引き受けたように思う。その意味では吉本はフーコーに大きく影響を受けたことになるが、世界認識の方法(全体的な認識)に対するフーコーと吉本のこだわりの違いは印象に残った。日本人は世界認識の方法を自ら手にしたことはなく、それを過剰に意識せざるを得ないのと、自然にそれがあると見なし得る西欧人との差があるのかと思えた。世界の全体的な認識へのこだわりだが、興味深い点である。ただ、ヘーゲル―マルクスの世界認識の方法を超える事態が進行しているという点について、吉本とフーコーは一致していたのだと思う。

(6)階級の問題

 前回、フーコーが「貧困と悲惨の問題」という19世紀の緊急の問題が西欧社会では全く解決されたとは言い難いが、緊急の問題ではなくなっていると述べているのを紹介した。これはもう少し別の言葉で言えば「階級の問題」と言える。フーコーは70年代に既にこのことに気がついていたのであろうが、日本でこれが大きく浮上してくるのは70年代後半から80年代にかけてである。階級の問題とは富の生産と貧困の生産の同時並行性の問題であり、俗には窮乏化の問題とも言われていた。経済の先進的地域では労働者階級の窮乏化の問題は緩和化されるという事態があり、ベルンシュタインの提起以来、問題として存続してあった。しかし、問題の転移があるだけで本質的には解決されてはいない、とされてきた。例えば、先進地域の労働者階級の中に窮乏化が緩和される現象が見られるとしても、それは先進地域(帝国主義国)の労働者階級が植民地などの超過利潤の分け前を得ているからだ、と言われてきた。要するに帝国主義の植民地支配などの超過利潤を振り分けられているからであり、買収されているからだと見なされてきたのである。
 日本では外的な植民地だけではなく、農村などの二重構造の上に一部の労働階級の貧困(窮乏化)からの脱出も存在するという分析もなされてきたのである。60年代から70年代にかけての高度経済成長社会を経ての経済成長の持続は、日本社会の構造の内部で、窮乏化の構造を変容させているのではないかという意識を生みだしてきた。これをどのように認識するかは別にして、この問題が浮上してきたことは疑いなかったのである。フーコーは微妙な言い方ではあるが、階級の問題が絶対的なものから相対的なものになったと述べている。この少し後だが吉本はプロレタリア革命の問題は解決を見つつあるのでは、という感想を漏らしていたことに重なる。
 70年代後半から80年代の経済の高成長がもたらした問題をどう理解するかは、ある意味では現在までも続いていることである。階級の問題という社会概念に深く関係する問題の進展は、僕らの社会イメージを解体させてきた。そしてこの解体を通して再構築するという問題を困難なままに現在にまでいたらしめているように思う。経済の高成長は人々の意識を「中流」にし、「総中流」という言葉も生み出した。そして消費革命論争から消費社会論を流行らせたりもしたのである。高度経済成長の時代のCMとして流行ったのは「モウレツ」であったが、これはやがて「ビューティフル」や「おいしい生活」に変わった。これらはただ、高度成長経済の仇花としてあったに過ぎなかったのか、現在まで形を変えて続いていることなのか判断の難しい問題だが、経済過程の変容が根源的な問題として提起されていたことは疑いない。
 日本社会には近代社会(資本制社会)以前が長い段階としてあったが、現在でもそれは層としてある。柳田国男の描く常民の世界は層としてあり、その上に近代の市民社会が生成されてきた。これは農本的な世界(常民的な世界)の解体と再生産(いわゆる二重構造の再生産も含めて)の中で生成されてきたが、この市民社会の変容という事態に直面していたのである。階級問題の相対化とはこの問題にほかならなかったのであるが、これは80年代の吉本の思想が根底で抱えたことだった。
(評論家)
(つづく)







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