書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆三上治
吉本隆明の思想的な挑戦と時代の変容――現実への対応と方法的深化
No.3132 ・ 2013年11月02日





(3)バブル景気の頃

 『マス・イメージ論』は『共同幻想論』の現在版、『ハイ・イメージ論』は『言語にとって美とは何か』の現在版――そのような作品として人々に受け取られたかどうかは別にして、これが吉本の意図であったことは彼が明言している通りである。僕はこの前提として、『共同幻想論』や『言語にとって美とは何か』の前にはマルクスについての思想的な論究が、『マス・イメージ論』や『ハイ・イメージ論』の前には親鸞についてのそれがあったことを繰り返し述べてきた。吉本は現実に対応することを思想の存在理由としながら、他方で方法的な深化を同時にやっていたのである。このどちらもというのは難しいことだが、いつの場合も吉本はこれをやっていたのである。
 吉本にこうした現在版をという、自己思想の解体をかけての思想的な挑戦を促したのは時代の変容であり、それがもたらす強い思想的な危機感であった。背後にあったのは、三島由紀夫事件の残した思想的なしこりであったかもしれない。あるいは、殺戮を繰り返す内ゲバ事件に深入りするほかなくなっていた政治グループの動向だったかも知れない。60年代の帰結ともいうべきこうした事件に吉本が無縁であったと思われないからだ。それは影のようでもあったことを忘れてはならない。
 72年を前後しての世界の転換点に吉本は気づき、それが自分の仕事の方向性を明瞭にしたと語っている。これは前回に取り上げた『わが転向』の中での発言であるが、70年から80年代への転換は急速であった。現在という言葉を多用する他ないほど時代の変化が速かったし、それをつかむのは大変なことだった。人々の意識が混迷と解体の中に漂うしかない事態があった。
 60年安保闘争を最後の闘争として勝利した日本資本主義は、70年代前半までを高度経済成長の内に歩を進めた。大量生産と大量消費の時代であり、毎年、10パーセント近い経済成長を続けていたが、72年のオイル・ショックで屈折を余儀なくされる。経済発展は70年代後半から80年代後半のバブル経済まで進む。二桁の高成長はなくなったが、経済の発展は続き、消費優位社会という議論を呼び起こすまでになっていた。頂点は87年を前後するころであるが、人々の生活様式や意識に大きな変化をもたらしていた。このはじめの段階で消費革命をめぐる議論が生まれている。生産と消費をめぐる議論は山崎正和の『柔らかい個人主義』などを生みだしたが、吉本にも大きな影響を与えたと推察できる。この過程は、社会思想的には「階級」の問題が中心に置かれたことに変化をもたらしつつあった。この時期の吉本には「階級」問題のある程度の解決、あるいは変化という認識があった。つまり、プロレタリア革命の歴史的な変化が意識されていたのである。

(4)吉本とフーコーの対話

 78年に来日したM・フーコーは「階級」の問題の変化を提起していた。その時の講演で次のように述べている。
 「十九世紀の大問題は、周知のごとく、貧困と悲惨の問題だった。なぜ、富の生産が、富の生産に直接かかわる人間の貧困を招くかという問題が、つまり、富と貧困とが並行して生み出されていく現象が多くの思想家や哲学者の関心をひいていた。一方、二十世紀の終焉に近づいている現代においては、この問題が全く解決されたとは言い難いが、しかし、十九世紀ヨーロッパにおけるほど緊急の問題ではなくなっている。現代において、この問題は、もう一つの問題に裏打ちされているのだ。つまり、権力の過剰の問題がそれであり、現代において人々を不安に陥れ、あるいは公然と反抗を呼ぶのは、ファシズムやスターリニズムが非常にグロテスクな形であからさまにした権力の過剰生産という問題にほかならない」(M・フーコー『哲学の舞台』)
 フーコーのいう「19世紀の大問題」とは階級の問題である。資本主義が人類史的な富の生産を実現しながら、その生産者たちを貧困と悲惨に追い込む問題であり、資本主義の批判と革命ということが出てきたのである。例えば、フランス革命から1848年の世界革命までは、「憲法は革命」であると言われたように、革命とは自由や民主主義の実現という要素を色濃く持っていたが、それを色褪せたものにしていく事態があったのである。日本では、自由民権運動のころと大正デモクラシーを経ての革命という概念の変化に現れているといえる。フーコーは、「階級」の問題が中心に置かれてきた思想状況の中で権力関係の問題を提起していた。階級の問題が中心に置かれることで、国家の問題は自由と民主制の実現からプロレタリア独裁へ変化した。パリ・コンミューンの後にマルクスはプロレタリア独裁をコンミューン型国家の形態として提示し、レーニンに受け継がれていった。この国家論は暴力革命論と共に後生に大きな影響を与えるが、背後に「階級」問題という社会思想が存在した。フーコーは権力の問題を提起したが、吉本が幻想論を提起したことと重なる問題であった。フーコーが提起しているのは権力の過剰、あるいは過剰生産であるが、権力についての問題が本質的に欠如したマルクス主義への批判でもあり、連赤事件や内ゲバなどの解明に光を当てるものだった。吉本が幻想論として提起し展開してきたのはマルクス主義の宗教・民族・政治などの批判であるが、通底することだった。
 ここで78年に行われた吉本とフーコーの対談について触れておきたい。この対談は吉本邸で行われ、その記録は『世界認識の方法』に収められている。この対談について吉本はある雑誌で語っている。「意志論ということだけがこちらの方法としてあって、考古学的な知の層を主体とするフーコーの考えと対比できるとすればそこだけだと僕は感じていました」(吉本隆明が語る戦後55年 8巻)。マルクス主義をどうするかを中心にした対談であるといってよかったが、吉本はマルクス主義とマルクスは別のものとし、マルクスを継承するという考えで『共同幻想論』などを展開してきた。ヘーゲル―マルクスの意志論は幻想論であり、人間の諸力としての幻想(観念)をきちんと評価することだった。マルクス主義が観念論批判、あるいは宗教批判の中で始末してしまったのが意志論であり、それを受け継ぐことを明確にしていた。
(評論家)
(つづく)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約