書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆三上治
新旧左翼ともポストモダンとも離反する吉本隆明――1972年を中心に日本社会が曲がり角を迎えたという認識の浸透
No.3130 ・ 2013年10月12日




(七)吉本隆明の80年代の思想的展開

(1)ポストモダンを冷たくあしらう吉本

 吉本は『わが転向』(1995年)をあらわす。94年に雑誌『文藝春秋』に発表して単行本になったものである。表題からして人々を驚かせたものだが、主に80年代の活動を概括したものであったと言える。
 80年代に入って吉本は、その前半に『マス・イメージ論』、後半に『ハイ・イメージ論』を書き、『「反核」異論』で論議を呼んだ。埴谷雄高との論争もあった。そして87年には吉本隆明・中上健次・三上治主催の「いま、吉本隆明25時」と題された24時間の連続講演集会があった。また、M・フーコーとの対談も行っている。さらに、88年にははじめて沖縄を訪れている。その記録は『琉球弧の喚起力と南島論』として出ている。89年にはベルリンの壁の崩壊と冷戦構造の崩壊も起こっている。吉本の80年代の思想的な展開に触れてみたいのであるが、概括的に言えば、この時期の吉本は新旧左翼の枠から離れた思想的な独自展開の様相を示すとともに、資本主義の高度化という現在を正面に据えた思想的な格闘をやっていたことになる。全共闘世代に圧倒的な支持を得ていた吉本に離反が出てきたのもこのころだった。
 60年安保闘争を「日本資本主義との闘争」として闘った吉本には、その後の広い意味での左翼の後退が視野に入っていたのかもしれない。左翼がロシアマルクス主義を意味する限り、これは明瞭であったと言える。ただ、吉本は60年安保闘争を闘った独立左翼的な部分には共感と期待を寄せていた。60年以降の過渡期の中で独立左翼的な運動が、旧左翼を乗り越えていく可能性を見ていたとも言える。60年代の独立左翼的な運動はその表出性において全共闘運動などよく闘った。しかし、理念的にはロシアマルクス主義の左翼反対派である新左翼と独立左翼の混合状態であり、政治的グループでは新左翼が多数を占めることで旧左翼に転じていった。赤軍派などの革命戦争派や連合赤軍等はその象徴であったが、連合赤軍事件や内ゲバなどを契機に急速に退潮していった。吉本の独立左翼的な運動に対する希望は失望に変わっていったのだと推察される。
 70年代の左翼運動の理念的・実践的な後退局面の中で、その隙間を埋めるように登場したのがポスト・モダンと称される思想的な動きだった。68年のフランスでの革命的運動と前後して出てきた思想的な動きだが、構造主義等として日本にも移入された。浅田彰の『構造と力』(83年)はその代表的なものであった。ポスト・モダン論は日本のジャーナリズムやアカデミズムの一部での流行りだったが、吉本はこれらを基本的にはマルクス主義の衣装替えとして冷たくあしらっていたように思う。日本へヨーロッパから尖端の思想が移入され、ジャーナリズム等を席巻する現象は今に始まったことではないが、その最後とでも言うべきポスト・モダンは何も残さない結果に終わった。吉本は、新旧左翼ともポスト・モダン派とも違う展開を80年代にはじめるのである。

(2)『マス・イメージ論』の時代

 「こうしたいくつかの兆候を考え合わせると、日本の社会では七十二年を中心にした二、三年でとても大きな曲がり角を迎えたという認識に達します。七十二年が一つの転換点だと気づいたことによって、僕の仕事の方向性もはっきりしてきました。一つは大衆文化を本気で論評しようということ、もう一つが都市論をキチンと考えようということです。文学評論の余技として大衆文学を論じるのではなく、大真面目に大衆文化の問題を正面に据えなければいけないと思ったし、都市の実態をもう一回考え直さなければいけないということになりました」(吉本隆明『わが転向』)
 72年を中心とした二、三年で日本社会が大きな曲がり角を迎えたという認識に、吉本はいつの段階で達したのだろうか。76年に『最後の親鸞』を公刊しているが、この段階では吉本は自己思想の再確認に意を注いでいたように思う。60年代半ばにマルクスと格闘していたことに匹敵すると推察できる。資本主義が存続するように、それに批判的な左翼思想も存続はする。1920年―30年代に大きな影響力を持った左翼思想は戦前―戦中に壊滅するが、戦後復活した。そして70年代に自滅と解体の局面にあった。日本社会は高度成長の最中にあった。吉本は68年の『共同幻想論』から南島論への展開での挫折に対して、別の形で乗り越えようとしたのが『マス・イメージ論』であった。72年が世界の転換点であるという認識がそれを進めたのであろうが、無意識も含めてその認識に達したのは70年代後半のように思える。あるいは『マス・イメージ論』を書く過程においてだったのかもしれない。
 『マス・イメージ論』は一言で言えば、現在という共同幻想を捉えようとしたものである。当時から難解であった記憶がある。いつの段階からか、吉本は現在という言葉を多く使うことになるが、これは現在を過去に遡及することで把握しようとするのに対して未来を意識する契機が強くなることを意味する。『わが転向』の中で吉本は、『共同幻想論』が過去に遡及する形で日本の共同体の構造を明らかにしようとしたのに対して、『マス・イメージ論』や『ハイ・イメージ論』は未来の共同体を明らかにしようとしたのである、と述べている。ここには親鸞への論究の中で得た死からの視線、あるいは世界からの視線があることはあらためて言うまでもない。もちろん、過去への遡及が忘れ去られたわけではない。南島論は北方に視野を広げ、アフリカ的段階という歴史観の拡張で展開は続けられていたからである。72年を中心に日本社会が曲がり角を迎えたという認識は、表出意識として僕らに浸透しつつあった。それがどのような段階と過程を経てかと言えば、70年代を通してであったが、それに対応する理念も言葉もなかった。この難題に挑んだのが『マス・イメージ論』であったことは確かである。
(評論家)
(つづく)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約