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評者◆三上治
実体的なものではない「死」――親鸞の死についての思想と吉本隆明
No.3128 ・ 2013年09月28日
(7)吉本の思想展開の大きな契機
吉本が親鸞を通して死についての考えを深めていったことは明らかだ。これは『共同幻想論』における死についての考えとの違いと言えるが、死をもっぱら否定面でとらえるということから、肯定面の要素が強くなったということである。死を心的(精神的)な境位とみなし、生と死を見渡す視線のようなものと考えたわけだが、ある意味では浄土からの視線と言ってもよかった。これは『共同幻想論』から「南島論」へという展開から、『最後の親鸞』から『マスイメージ論』への道を可能にしたと言える。この大きな契機は、死を実体的なものと考えることから脱し得たことである。多分、吉本はこれまで死を実体的なものとみなすことにまだ、どこかとらわれていたように思う。三島由紀夫の事件をシコリとして受け止めていたことはその例証かもしれない。 実体的な死とは身体的な死である。僕らは他者の死を目撃し、そこから死のイメージを受け取る限り、死はいつも実体的な死ということになる。しかし、人は自己の身体的な死を経験はできないのであり、想像力で得られる死はこれとは違ったものである。この食い違いというか矛盾は、死を実体的に考える限りは解消しないものである。吉本は想像力による死のイメージで身体的な死を演じることを強制された世代(戦中派世代)であり、そのことが戦後もついて回っていたのだと思われる。ここからの脱出を吉本は思想のモチーフにしてきたのであるが、それでも死=身体の死ということはふっきれないでついて回ってあったように思う。 何故だろうか。想像力によって得られる死があくまで想像(幻想)的に生成されたものであることは自明であっても、それが人間の現実からの疎外態(自己疎外態)としてある限り、それを現実によって根拠づけようということが出てくるのは避けられないからだ。身体的な修練によって死のイメージを得ることも同じである。死を身体の死に関連づけることは、死を身体の死と想定する限り必然のように出てくるのだ。身体の死という恐怖にうちかつ行為が意思的な死であり、身体の死の恐怖から自由になる最高の人間的行為である。これが三島の死生観である。死を身体の死に結びつけるには、思想を身体に結びつける思想がある。理論と実践の統一も、知と行の合一も、根底に思想と身体を結びつける思想がある限り、ここに行き着く必然がある。 宗教的ラジカリズムと政治的ラジカリズムがよく似た現象としてあらわれるのも、根底で思想と身体の関係(結びつき)で同じ様式を持っているからだ。個人の好みという意味では、吉本は心的な破局やラジカリズムが好きだったのかもしれない。これは僕の推察であるが、そういう点で言えばラジカリズムをどう始末するかはいつも念頭にあったのだと思う。親鸞の死についての思想は、死を実体ではなく喩であり、精神の糧だとするもので、吉本は自己の思想を再認識しただけかもしれないが、この後の思想展開の大きな契機となった。 (8)〈非僧〉〈非俗〉ふたたび 親鸞は自己存在を〈非僧〉〈非俗〉として規定した。非僧とは僧という共同幻想からは離脱するにしても、幻想力の中に生きる存在とイメージできる。そして非俗とは意識的に俗的な生活にあるものをさしていた。外形的には捨て聖であり、俗的生活者であり、思想としてのみその枠組みを離れた存在である。僧としても俗人としても自立的な存在でありその自覚的な存在者である。現実にある時、〈僧〉であり、〈俗〉でありその円環を免れないにしても、それを制約としてそこを超えようとする人間の存在である。〈非僧〉〈非俗〉というのをいくらか具体化して言えば、どうか。 〈非僧〉は死や浄土の世界に到達(往相)し、そこから民衆の中に還って済度(救済)の務めをはたす(還相)。一方のイメージでは煩悩の里での生活を送り、その中で現実を超えることをめざす。世界的、全体的な視線を獲得し、そこから現実の矛盾的な世界に分け入ることである。また、現実の世界にあってその矛盾を超えるべく闘うことだ。世界を変えるためには二つの道が不可欠であると言っているようなものだ。 簡単な道を提示しているように思えるかもしれない。しかし、親鸞が死や浄土の概念から実体的な死を追放したことは重要な意味を持つ。身体的な死をもって浄土に近づき,自他に浄土を示すことを否定したからである。死という実践によって浄土に近づき、浄土を体現することで民衆の済度にもなることが否定されれば、この二つの道は結びつくことが困難になるからだ。非僧の世界から身体の修練で死や浄土の世界に近づくことが否定されれば、そこへの到達も還りも言葉によるしかない。そして、この言葉によるしかない世界と現実の世界との隔たりは大きくなる。理論と実践の統一、あるいは知と行の合一は身体を媒介にしてのものであり、これが解体されれば、〈非僧〉と〈非俗〉を結ぶことには大きな隔たりができる。別の方法というか、道を考えるほかないのである。 世界視線に到達し、死と生の世界を見渡すように、現在と未来を見渡す視線を得ることと、マルクスのいう現実の矛盾に即した運動とが結びつくのは難しいのである。理論と実践の統一や知と行の合一という概念が解体した事態は、ロシア革命以来のその物語が終わったことを意味するのかもしれない。親鸞は、天台宗等の聖土門から浄土門へと仏教のヘゲモニーが移行する一つの宗教革命の時代の帰結から同じようなことを思想としては考えたと言える。マルクス主義の中でのアルチュセールの「重層的決定論」はこうした事態に応えようとしたものと言える。だが、世界的な視線と現実の絶えざる運動とは重層的に結びつくという程度で解決する問題ではない。 吉本は『世界認識の方法』の中で、世界史の契機としての理念と歴史への個人の参画とを取り出しているが、それがどのように関係するのかは示していない。世界的視線の獲得の問題は25時間目の世界としても語られてきたが、理念の運動と個人の参画による運動がどのように関係するかを明瞭に語っているわけではない。ただ、親鸞論の中ではその辺りを検討していてヒントが散見される。例えば、「横超論」のように。 (評論家) (つづく) |
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