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評者◆三上治
〈非僧〉〈非俗〉という親鸞の思想的立場――吉本はなぜ親鸞に魅せられたのか
No.3127 ・ 2013年09月21日




(5)親鸞の独自の歩み

 吉本が親鸞を通して自己の思想的な根拠を問い直していたことは明確であり、同じ問題に直面していた(そう感じた人も含めて)人々の共感をえた。親鸞は偶然か必然か仏教者になった。仏教者になるとは比叡山に登り学究と修行を重ねることであり、その頂きを極めることだった。もちろん、これは仏教を通して自他の解放(救済)をはかることで、ある時代に人が革命者や運動者になることで自他の解放をめざしたのと変わりがない。親鸞は比叡山での学究や修行に疑念をいだき山から降りた。今風に言えば、一種の転向をしたのである。理論と実践の双方で支配的な革命者や運動者の規範や概念から離れること、例えば党生活者を辞めたようなものである。そして親鸞は聖土門の仏教者から浄土門の仏教者に変わったのである。これも今風に言えば前衛集団の運動者から、大衆運動の運動者になったことに似ている。
 彼は山を降り法然のもとに身を寄せた。そして学究や修行を廃し、念仏を唱えるだけの称名仏教に転じた。浄土門系統の仏教の大衆的な広がりに対する危機感から、また旧仏教からの讒訴もあって彼は事件に連座し、越後に配流になった。彼は赦免後も京都(法然)のもとには還らず、関東で捨て聖となって布教を続けた。そして法然の浄土宗とは別の浄土真宗を開いた。この過程で、南無阿弥陀仏を唱えるだけの他力本願と呼ばれる宗教を解体するところまでことを進めた。彼は「地獄も極楽も存知せぬなり」「信ずるも信じないも面々の計らいなり」という言葉に示されるように、宗教的理念(念仏による救済)を解体してしまったのである。彼は仏教的戒律である女犯を破り妻帯し、愛欲と煩悩にある生活を送った。これは仏教者であることを廃して俗的な生活に還ったことを意味したのだろうか。当時だって仏教者を廃して俗的な生活に戻る還俗ということはあったのだから、そういう道もあったはずである。
 親鸞は、よく知られているように〈非僧〉〈非俗〉として生きたと言われる。彼は僧つまりは宗教者という存在を放棄した(放棄したに等しいところまで解体した)、その意味では非僧であった。他方で妻帯し、煩悩の世界にあって俗そのものように存在しながら、意識的な生としてそれを生きたという意味で非俗であった。〈非僧〉〈非俗〉とは思想者としての親鸞の存在であって、現実の存在としては、外形的には僧や俗として生きたということである。何故だろうか。人間は現実的には自然との相互的な関係の中にある。この場合の自然はその中に自然から疎外された人間的自然も含む。人類史を自己の身体の内に存在させて生きることにほかならない。その意味で人間は現実的な存在である。しかし、現実的存在を制約として超えようとするものを持つのであり、これもまた自己を疎外させる意識であり、これを思想と呼ぶことができる。思想とは人間が現実の中にありながら、現実を超えようとする衝動なのである。現実は人間の不可避な存在様式であり、避けられないものであってもそれはまた制約であり、それを超えようとする衝動を持つのであり、それは思想と呼ばれる。〈非僧〉〈非俗〉とは親鸞の思想的立場だったのだ。

(6)「いかに生きるべきか」という、「政治的な問い」

 親鸞の〈非僧〉〈非俗〉という立場は、僧―俗という立場を超えることを意味した。僧という時代的な幻想(共同幻想)と俗という実世界の相互関係の環から離脱していることを意味している。それは思想的な存在としてのみ可能だった。人間は自然との相互関係の中にある。そこには人間が歴史として持ってきた人間的自然も含まれる。その関係の中で人間が固有の力を宗教や政治として切り離されないで承認され、発揮される世界が革命の成った世界である。今風に言えば人間の多様な存在が承認され、生かされる社会ということになる。しかし、これは現在では思想的にしか可能ではない。現実の社会では人間の固有の力は宗教的・政治的に取り出すほかなく、多様性が承認されるわけではなく、その意味では差別的である。
 親鸞は僧になり、その宗教者としての展開をぎりぎりのところまでやって宗教的な解体に達し、その到達が〈非僧〉〈非俗〉だった。吉本は何故親鸞に魅せられたのか。知識やいかに生きるかという自問に思想者としての親鸞が重なったからである。吉本が知識を持って知識人になり、いかに生きるべきかの問いを持ったことは時代が彼に強いたことだった。その問いはもう宗教的ではなく、政治的だったと言える。革命という理念を含んだ政治だった。そして政治(革命という理念を含む)もまた、解体的である他ない時代に、よって立つべき思想的立場としてあるものが他になかった。1960年代には、吉本はまだ日本の反権力思想の構築を考えていたことを想起するといいのかもしれないが、70年代にはもう解体しかないと考えていたと思われる。僕はそこに三島由紀夫事件や連合赤軍事件の影、あるいは「南島論」の挫折の影響などを想定できるが、吉本は思想者としての親鸞の世界に足を踏み入れていった。宗教者としての親鸞には留保をしながらである。
 こうした中で、あらためて取り上げたい幾つものことがあるが、やはり、最初に来るのは死についての考えを深めていったことである。『共同幻想論』の中では死は共同幻想による自己幻想の侵触という面が強調されていた。この認識は三島事件や連赤事件の分析、その内在的な理解としては優れた力を発揮するものだった。しかし、吉本が親鸞の浄土や死に分け入って取り出しているのはこれとは異なる。親鸞は浄土や死を実体的なものとしなかった。浄土を死後の行くべき世界として描くほかなかったように、死も実体的なものと考えなかった。それは心的に描かれた境位であった。死を親鸞が『正定聚』という概念で提示したものはもう少し複雑ではあるが、基本的にはそういうことだった。
 〈死〉を人間の生を超え、生と死を見渡せる人間の心的な境位とみなしたのである。人間は死を経験することは不可能だが、想像力や作為によって死を描くことができる。これは矛盾と言えば矛盾であるが、そのことの意味は生という現実の制約を超えて、その世界を見渡せるということにほかならない。これは人間が現実から自己を疎外させることにしか現実を認識できないということと深く関わる。浄土や死を人間が想像力において取り出すことは、そのことによって生や死という現実を見渡すことができるということであり、その視線が重要であるということになる。
(評論家)
(つづく)







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