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評者◆秋竜山
連載第1211回  以下、無用のことながら、の巻
No.3126 ・ 2013年09月14日




◆抽象的に面白い本。を、具体的に面白がるには? 森博嗣『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』(本体七〇〇円・新潮新書)。なんと長ったらしいタイトルだこと。わざと、そーしたのか。
 〈執筆後の原題は「抽象思考の庭」だったが、本のタイトルは編集部に一任した。十時間くらいで書き上げたものだが(こういう具体的なデーターに意味はあまりない)、ただ、その執筆中に、「庭」の発想が得られたことが、自分にとって大変に大きい。書いて良かったと感じた。〉(あとがき)
 この一文により、長いタイトルであること(?)の物語がわかって面白い。著者が書きながら頭の中で考えていたタイトルと、編集部で考えたタイトル名の違いが、面白い。著者の抽象的思考。編集者の具体的思考。読者として、いろいろと推理するのもたのしいものだ。〈「抽象」を具体的に説明する〉という項目がある。
 〈では、「抽象」について、もう少し具体的に説明してみよう。具体的に話す場合には、「例を挙げる」ことになるので、たいてい「たとえば」で始めて、あくまでも「一例」であることを示す。これは、非常に狭い限定された範囲に目を向けることであり、だからこそ「焦点」が合う。逆にいえば、周囲の広い範囲は見えなくなる。〉(本書より)
 〈「もっと具体的に説明してくれ」と要求されることは多いのに、「もっと抽象的に話してくれ」と言われたことがある人は、まずいないだろう」〉(本書より)
 この後に、抽象画について述べている。まず抽象画ほど面白い絵画はない。なにが面白いかって、わけのわからない、なにを描いてあるかサッパリわからない画であるということだ。わからないから抽象画であって、これがすぐわかる画であったら抽象画ではないということである。つまり、わからない画をたのしむ絵画であるということだ。抽象画家という肩書きを持つ画家もいたりする。わからない画を描いて世間でみとめられるということは、考えてみれば、たいしたものであると、思う。彼は抽象画家である以上、抽象的な画を作品としなければならないだろう。「今度は、どんなわけのわからない画を発表してくれるのか」なんて、ファンは期待する。期待されるようになったら一人前だろう。発表された抽象画の大作の前で大勢の人たちが首をひねっている。首をひねるということは、たのしんでいるということである。誰一人として、「なんだ、この画は、ちっともわけがわからないではないか」なんて叫ぶものはない。叫ぼうものなら、彼はその場を退散しなければならないだろう。画にはすべてタイトルがつけてある。抽象画にも立派なタイトルがついている。たとえば「平和」だったりする。「この画はいったい、どこが平和なんだ」と、みんな首をひねっている。しかし、そのことを誰も口にしない。抽象画とはわからない画であることである。だからタイトルをつけた作者とて、「なんで、この画が、「平和」なんだ」なんて口には出さないが思っている。しかし、作品というものは不思議なもので、いつしか「平和」というタイトルが生命力をもちはじめる。あやまってさかさまに飾られてしまった抽象画もあったりする。以上、述べたことは本書とはまったく関係ないことである。







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