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評者◆池田雄一
今月ぅわっ……、主人公のぉ…… 労働状況ぅをぉぉ……
No.3126 ・ 2013年09月14日




 ――すこし前になりますが、白井聡『永続敗戦論』(太田出版)という本が出版されました。一部で、たいへん評判になっているみたいですが。
▼この本は、前に言った「現実界の論客」とおなじカテゴリーに入るんじゃないの。つまり、シミュラークル化する現実の外部を指さすことによって論を立てていくタイプの議論だよね。具体的には、孫崎享、豊下楢彦、あるいは佐藤優。最も極端な例として『独りファシズム――つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』(ヒカルランド)を書いた、響堂雪乃という人物をあげたよね。
 ――その「現実界の論客」っていう言い方、流行りそうにないんで、現実主義とかに変えません?
▼だめだめ。だって彼らが対峙しているのは、いわゆる現実主義者が言う現実じゃなくて、ラカンが言うところの現実界――つまり、象徴的な秩序が機能不全をおこした結果として可視化された「現実」なんだもん。
 それで『永続敗戦論』の主張をみていく前に、補助線として、前に萱野稔人が展開していた議論を確認しておこう。たしか、彼の『国家とは何か』(以文社)の主張をまとめると、「国家とは、人間を殺害する権利を持っている唯一の存在である」ということになるよね。国家を国家たらしめているのは、身も蓋もない暴力そのものだ、という認識が、この主張の前提となっている。一方でこの主張は、説得力がある故に、主張している状況、つまり「国家最強説」から抜けだせないというジレンマを抱えてもいる。
 でも考えてみると、暴力という観点からみると、たしかに国家は最強なんだけど、それは「日本」という国家が最強だということを意味する訳じゃないよね。『永続敗戦論』は、この観点から「国家最強説」を捉えかえすという離れ業を演じている。つまり、日本はアメリカその他の連合国と戦争して敗戦した。この圧倒的な事実を無視する訳にはいかない。そして敗戦の結果であろうが、何であろうが、いったん条約を結んだ以上、それを無視して領土がどうのと言うのは、大人の態度としてどうかと思う。これがこの本の主張でしょう。
 でも逆に言うと「こうした状況をひっくり返すには、もう一度アメリカと戦争して勝利するしかない」という主張も読みとれる。それに、この人、最初の『未完のレーニン』(講談社)や『「物質」の蜂起をめざして』(作品社)の時よりも、生き生きとしているというか、何か楽しそうなんだよね。読んでいると、ついに現実界デビューしてしまったか、という印象が残るね。
 それに対して、中島岳志『「リベラル保守」宣言』(新潮社)は、徹底して現実界的な要素を排除して議論を展開している。だからこそ「リベラル保守」なんだけど。
 でも今日的な状況としては、右派だとか左派だとかよりも、むしろ全体主義の時代に突入した、という印象の方が強い。そしてテクノロジーが、そうした状況を下支えしている。それゆえに中島的な「リベラル保守」という立ち位置に説得力があるんだと思う。それにしても、「あとがき」を読んで仰天したけど、当初NTT出版から出る予定だったのが、そこの編集部が橋下徹への批判を削除するように求めてきたらしい。
 いずれにしても、全体主義とファシズムは分けて考えた方がいい。たとえば外山恒一が言っているファシズムは、どちらかと言えば「海賊」に近いものでしょう。たとえば、浜本隆志『海賊党の思想――フリーダウンロードと液体民主主義』(白水社)という本が出ているんだけど、そこに「エーデルワイス海賊団」の話が出てくる。これはヒトラー政権期にいた、ドイツの不良少年グループで、場合によっては「ヒトラーユーゲント狩り」みたいなことをしていたらしい。そして今日的な海賊は、海域ではなくネットで活躍、というのがこの本の落ちなんだけど。
 ――現実界と言えば、今月の文芸誌でも、「現実界の小説」とでも呼ぶべき作品があったようです。
▼そうそう、やばいよね。それを確認する前に、まず今月の小説における、主人公の雇用形態に注目してみよう。新庄耕「オッケ、グッジョブ」(「すばる」)の主人公は、ブラック企業を臭わせる会社の新入社員。研修合宿が舞台となっている。髙橋陽子「六月の尻尾」(「すばる」)は美大受験向けの予備校講師をしている女性が主人公。どうも非常勤講師らしい。印象としては、都市の浮游民に近い感じ。小山田浩子「穴」(「新潮」)は、もともと派遣社員として働いていた主人公が、結婚相手の転勤を機に専業主婦として家庭に沈められるという話。羽田圭介「トーキョーの調教」(「新潮」)の主人公は、在京キー局に勤めるアナウンサーの男性。いわゆる局アナというやつだよね。
 ところで「オッケ、グッジョブ」なんだけど、どうだった?
 ――僕がですか、いやだなあ。これ受賞後第一作なんですよね。ここで描かれているように、ブラック企業っぽい会社が、企業研修と称して、自己啓発みたいなプログラムを新入社員に課するようになったのって、ロスジェネ世代くらいからですよね。だから、世代的にすごくよく分かりますよ。ただ、主人公をはじめとして、登場人物たちのほとんどから内面の葛藤がまるで感じられないですよね。これって小説というよりも潜入体験記みたいに読めてしまうんです。でも、不思議と読んでいて読み飽きなかったんですよね。
▼はじめは「これって小説として大丈夫なのかな」って思ったんだけど、昨日あたりから逆に「この主人公が終始ぼーっとしているところが最高!」みたいな印象になってきた。本当に主人公がただ呆然としているだけなんだよね。不条理な状況を、弁証法的に解決するような行動はおこさず、ただただ、ぼーっとしているんだよ。
 労働の問題として言うと、社員研修というのは、ポスト・フォーディズムの状況をそのままトレースしている。工場労働では、監視の目をかいくぐってサボることができた。ところが第三次産業においては、労働者の身体ではなく、労働者の脳そのものをコントロールする必要がある。そうなると、もはや洗脳するしかない。作品の前半では、トレーナーが新入社員に、挨拶を「本気」でするようにと訓練する場面があるけど、あれって怖いよね。本気って何だろうね。その挨拶の部分だけど、こんな感じで書かれているんだよね。「よろしくっ、お願いしますう……ぅああ……」。読んでいる側も疲れてくるよね。後半は、ただひたすら苦しそうに歩いているだけとか、展開が全然ないんだけど、それがこの小説の面白いところなんだ。ぜひともこの人には、会社を舞台にした『神聖喜劇』を書いてもらいたい。
 ――むしろ『真空地帯』のような気もしますが。髙橋陽子氏の「六月の尻尾」も受賞後第一作ですね。
▼この主人公は、都市部にいると思われる非正規雇用の予備校講師なんだけど、さっきの新入社員とくらべると、かなり余裕があるようにみえる。つまり、給料はさほどもらってないんだけど、その分、時間的にもメンタル的にも余裕が見える。都市の浮遊民ってそういうことだよね。ただこの著者は一九六五年生まれってあるから、単純にバブル期の余裕のあった時代の話なのかもしれないけど。もうちょっと下の世代が書いたら、ぜんぜん違う話になったと思う。
 ――一方で「トーキョーの調教」の主人公「カトウ」は局アナの男性ですが。
▼ブラック企業の新入社員研修では、人の内面をコントロールするために「なまはげ」が必要とされていた。それが局アナになると、「なまはげ」の役割も、自分自身で負うことになる。きついよね。とても無理だよ。すると「なまはげ」を誰かに丸投げしたくなるのも理解できる。だからカトウはSM嬢の「マナ女王様」にアウトソースした訳だ。アナウンサーという職業、SMプレイ、それと労働における自己規律の問題がつながっている。あまりにSMプレイの場面がうまいので「羽田氏も調教されたことがあるのかしら」という、ちょっとしたサスペンスも味わえるよね。
 ――「穴」はどうでしたか?小山田浩子氏は『工場』(新潮社)で、三島賞にノミネートされてましたが。
▼この主人公は、派遣社員を辞めて専業主婦になったわけだけれど、姑は正規雇用の社員なんだよね。たぶんキャリア志向の。一般的なドラマの設定だと、親の世代は専業主婦で、子ども世代が共稼ぎ、ということになるんだろうけど、この小説では、そこにねじれがある。それとも、時代がまたシフトしたということなんだろうか。姑とは対照的に、主人公は派遣社員という、労働者として主体化できていないポジションから、子どものいない専業主婦という、さらに主体化できないポジションへの移行を余儀なくされる。中途半端なかたちで家庭に沈められてしまう。その沈んでいくイメージと、主人公が落ちた「穴」のイメージが重なる。その落ちた穴がどんなのかというと、主人公の胸の高さくらいまであって、肩から上だけが地上に出ているような深さ。でも一人では抜け出せないんだよね。このイメージがものすごく気持ち悪い。気持ち悪すぎて、あまり思いだしたくない。でもそれって、つまるところ、うまく書けているってことなんだけど。
 あと今回のなかでは二瓶哲也「今日の日はさようなら」(「文學界」)が、ものすごく不思議な作品だった。七〇年代のノスタルジーのようにみえるけど、実はもっとヘンなことをやっている気がする。いっそのこと本人に聞いてみたいよ。
――つづく







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