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評者◆三上治
親鸞の死についての認識――死はどこからやってくるのか
No.3125 ・ 2013年09月07日




(六)吉本隆明と仏教思想

(1)吉本の『最後の親鸞』

▼吉本が『最後の親鸞』を公刊したのは昭和51(1976)年だった。当時、僕は長年にわたった政治的な実践活動から身を引き、その飛沫を浴びざるをえない渦中にあったから、言葉の一つひとつが身にしみるようであった。その意味では忘れられない本であるが、吉本自身も「もっとも愛着の深い書」と語っている。吉本にとって親鸞は、宮沢賢治とともに若いころから魅かれてきた存在だった。家の宗教が浄土真宗であり、祖父は天草の「門徒衆」と言われる信仰に篤い、熱心な信者であった。そういう家の雰囲気に自然に影響されてきたのかもしれないと語っていたことがある。
 「それに戦時中の教養に仏教が流行っていまして、寺田弥吉の『親鸞』とか、亀井勝一郎の『親鸞』なんかがあり、それを入口にして親鸞の『歎異抄』を読んだりしていました。これは蓮如の「御文章」や親鸞の『教行信証』などよりはるかにわかりやすいし、生々しい言葉と逆説的な言葉がすうっとまっすぐに入ってくるみたいなことがあって、自分なりに感銘を受けていましたね」(吉本隆明「私と仏教」)
 吉本は学生の頃から『歎異抄』を読み、「歎異抄について」という文章を書いているが、しかし「何もわかってはいなかった」と述懐している。
 「しばらくは親鸞からは遠ざかっていたんですが、ずうっと気にはなっていたんです。戦中の文化や思想の流れや、それに身を浸していた自分への反省があり、戦後の思想に向かい合えるようになってから親鸞にも改めて向かい合えるようになったんです。『最後の親鸞』を書いたのは1970年代の後の方ですから、時間を必要としたんですよ」(前同)
 戦時中から親鸞は親しく接してきた存在であったが、それを論じるには時間を必要としたのだと語っている。ここから思い出すのは吉本の中で思想が熟成、醗酵していく仕方・過程である。60年代はじめに吉本の家によく出掛けていた頃、僕らの愛読書にシモーヌ・ヴェイユの『自由と抑圧』(石川湧訳)があった。僕らの基本的文献と言うべきもので、この評価について吉本に聞いたことがあるが、彼はあまり意見を言わなかったように思う。しかし、後年にヴェイユについて論じることがあり、時間をかけて考えを熟成させていたのが分かる。これは吉本が思考を深めていく方法であり、それだけ深いものになっていくのだと思う。
 同時に、僕は『最後の親鸞』には70年代前半の時代的な契機も関与していると思える。象徴的に言えば、三島由紀夫事件や連合赤軍事件などであるが、彼は当時、こうした一連の動きを「戦争が露出してきた」と評していた。死の問題が露出してきたと言い換えることもできた。戦争と死は深く関連するものであり、これについて吉本は『共同幻想論』で論じていたが、あらためて論じる必要性を感じたのではないか。三島事件は想像以上に彼に深い影響を与えていたのではないのだろうか。

(2)『最後の親鸞』と三島事件と連赤事件

 三島事件も連赤事件も、ある意味では意外な事件であった。それらはすでに解決のついている死や生の認識の外で起こったように感じられるところがあったからだ。事件に必然性が感じられないところがあった。と同時に、異常で異様な事件と言うわけにはいかないと思えるところもあった。深いしこりを残す事件だった。これらの事件に対する反応も評価も複雑なものがあって、未だに決着はついていないと思える。これが『最後の親鸞』の背後に影のようにあったと思う。
 死に急ぐラジカリストの登場の最大のものは鎌倉末期にあった。国家の介入ということがあるが、戦争期も似たところがある。70年代前半にも規模は違うが同じようなことがあったのだ。その意味で親鸞の死(生)についての考えは現在にも通用するものであった。吉本は死について生涯にわたって考察を続け、『共同幻想論』の「他界論」のところで十二分に論じているが、あらためて親鸞の考えでそれを論じるということもあったのだと思う。
 親鸞が生きた鎌倉末期は死を急いだ人たちが最も多く存在した時代であり、死に急ぎを仏教系のラジカリストは競いあった。この時代は死という観念が生と一体的なものとしてあり、意識的な死が人間の存在価値と見なされていた。親鸞はこういう時代の中で、死は実体的なものではなく喩であり、精神的な糧のようなものであるとし、当時の死についての考えを決定的に変えた。当時の浄土を実体的なものと見なす考えについても同じだった。浄土と死を実体的なものと見、浄土に向かって死に急ぐ人々の考えを根本のところから批判し、死についての別の考えを提示したのである。
 意志的(意識的)な死は意味を持つものではない。親鸞のこの死(生)についての考えは、当時の仏教的観念(思想)が支配的な時代では極めて画期的だった。よく言われるように死は経験不可能である。自ら死んでしまえば死を経験することはできないし、他者の死はどこまでいっても他者の死である。しかし、人は死を想像し、それによって自ら死を演じることもできる。作為や想像によって死を招きよせることもできる。経験不可能な死を想像力や作為で演じることは矛盾にほかならないが、そうであれば、死はどこからやってくるのか。それは、死についての共同観念からやってくるのである。自らの外からやってくるのであり、自己の外部の観念からやってくるのだ。
 例え、自分の死を想像し、それに恐怖するにしても同じことである。そのような観念が想像を通じてやってくるだけなのだ。そうであれば、死、とりわけ意識(意志)的な死をどう考えるべきか。どんなに意識的、意志的な行為として考えても、共同観念に引き寄せられたものであり、共同観念に支配され、操られたものである。操られた自殺とも言える。死に意味や価値を付与する共同観念(宗教的観念)に自己意識が浸食された状態に過ぎないのである。「浄土」と言っても「悠久の大義」と言っても同じである。吉本は『共同幻想論』では、死を共同幻想の侵触という面で強調していたが、親鸞の死についての認識では死という観念の意味にまで考察を進めている。
(評論家)
(つづく)







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