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評者◆添田馨
絶対に“文学”にしてはならぬ――無数の人々の生命を代償として奇蹟のように成立したわが国の「憲法」
No.3125 ・ 2013年09月07日




▼「憲法」を何がなんでも変えるのだと明言する人が首相になってからというもの、明らかにこの国の空気はとても嫌な感じに変化した。首相に限らず今の時代に敢えて「憲法」を変えたいと考える人たちの集合的な意思の固まりに対し、なぜ私はこうも嘔吐をもよおすほどの嫌な感じを覚えるのだろう? ひと言でいうなら、絶対に“文学”にはならない高みにある言葉を、この機に乗じて党派の論理を頼みに自分たちの“文学”に仕立て直してしまおうというその低劣な意図に対し、私の存在の側からするこれは絶望的な拒絶反応なのだと、最近になってやっと分かってきた。
 言葉が作りあげる世界には、“文学”と“文学でないもの”と二つのカテゴリーしか存在しない。人間は自由な想像力を持つから、ヒトの言葉である以上、必ずそれは“文学”的な要素をどこかに宿し、また何を書いても本質的には自由である。だが私たちが歴史から完全に自由ではないように、言葉以前の世界では、“文学”にして良い言葉と絶対にしてはならぬ言葉、つまり私たちの自由にできる言葉とできない言葉とが厳然と存在している。
 わが国の現在の「憲法」は、文学にしてはならぬものの筆頭である。なぜならこの「憲法」は無数と言ってよい人々の生命を代償として奇蹟のように成立し、今に至った経緯を持っているからだ。確かにそれは人間の言葉だが、どこかで人間の言葉を超えている。つまりヒトがその時々の都合で勝手に書き換えてはならぬ超越的な高みにまで、その言葉の先端が届いている稀有なテキストなのだ。
 現在の首相は、この「憲法」が誕生した背景に累々と横たわっている無数の死者たちを生み出す原因となった戦争、それを推進した側の勢力の遺伝的な直系である。そういう人物が靖国神社に参拝するのは勝手だとしても、この「憲法」にまで手を出すことは断じて許されることではない。「ならぬことは、ならぬもの」なのである。







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