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評者◆三上治
中上健次作品が輝きを失わない理由――中上は『岬』『枯木灘』で何を描き、何を達成したのか
No.3124 ・ 2013年08月31日




(11)中上と三島の差異

 『枯木灘』は中上の作品の中で最高の傑作と評する人が多い。僕にはそういう評はどうでもいいことだが、中上の文学的達成を意味するものであったことは確かに思える。極めて複雑な血縁関係、路地という世界、そして兄の死を繰り返し反復するように書いてきたのが中上の小説である。その集大成であるとともに、飛躍も見られるのがこの作品であるからだ。『枯木灘』は『岬』に続き、さらにこの後に『地の果て 至上の時』がある。紀州を舞台にした三部作と言われる。人によって評価は違うだろうが、僕は『枯木灘』が一番いいと思う。中上の作品の全体の中では、『千年の愉楽』や『水の女』も好きだが、この作品もまたそれらに劣らず好きなことは間違いない。中上は少年期の世界を書くという決意のうえに、その記憶、その身体化されてある世界を反復するように書いてきた。それは青年期や成年期の世界を書くためでもあった。『枯木灘』はそれを実現しているし、竹原秋幸はその世界のために造形された存在である。
 秋幸は義兄の竹原文昭とともに竹原家の家業である土木請負業を担っている。現場監督をやっているが母親は将来独立することを願っている。彼は何よりもつるはしで土を掘り起こし、土をいじるという行為が好きである。対象に自分が没入でき、自意識が解消されるような状態が好きなのだ。絶えず、自意識につきまとわれることから解放され、対象に自分を委ねられるように思えること、そこでの心的な安定状態が好ましいのだ。中上が家計のための仕事の中で感じていたものの投影がここにはあるのかもしれない。彼は多くの作品を書き、それらの大半は日の目も見ない中で(書いても書いても没になる状態の中で)、心的には不安と葛藤の中にあった。過剰な自意識につきまとわれ、その不安と疲労感からの解放を仕事の中で感じていて、それが秋幸の像に反映されていたのかもしれない。また、繊細な神経と過剰な意識と持てあます肉体力の中で揺れ動く中上の心的な矛盾の表現であったとも言える。
 大なり小なり、誰でも青年期は過剰な自意識に悩まされるものだし、その沸騰とともに処理に悩むものだ。心的な激しい動きの中で明るくて健康な意識を幻想することがある。自意識が肉体の動きに解消され、その中で精神の安定的な状態というべき健康で明るい状態を幻想するのである。一方で破局という激しい心的な動きを欲求として持ちながら、この明るく健康な状態を欲求することが矛盾のようにある。その心性は青年期の特徴と言えるがそういう資質の強かったのも中上だった。精神が自然と乖離しない時代の状態、いわゆる日本的な自然とかいう幻想として出てくるものだ。過剰な自意識に翻弄される青年期の世界を表現したのは太宰治だが、これを批判した三島由紀夫が対置したのもこういう世界だった。『太陽と鉄』である。秋幸は三島のこの世界を想起させるが、三島の人工性と違って、秋幸には自然性が感じられる分だけ魅かれるところがある。この差異は興味深いのだが、僕はそこに過剰な自意識から解放されて心的な安定の感じられる太宰の中期の作品、たとえば『冨獄百景』などを思い浮かべる。

(12)真実を書くのは恐ろしいことである

 『岬』と『枯木灘』の世界にそれまでの中上の作品とは幾分か異なるところがあるのは、竹原秋幸の登場とともに、実の父親の浜村龍造とその子供たち、彼の異母兄弟の出現である。以前の作品では主に母親と義父の世界、それと死んだ兄のことが繰り返し書かれてきた。その中で、実の父親や彼の異母兄弟は登場しても、副次的であって、本格的には書かれてこなかった。『岬』ではラストでその異母妹であるさと子との近親姦が書かれるが、『枯木灘』ではさらに異母弟である秀雄の殺害が登場する。実の父親である浜村龍造との葛藤が現れるのである。これまでの母親との関係を中心に描いてきた世界に父親の世界が加わることで、彼の作品としては奥行きが広がったのである。これにはモデルがあるとしても中上の想像力で創出されたものだ。
 中上はこの作品で何を描き、何を達成したのか。彼は自分が経験してきた心的な真実を書こうとしたのだろうか。過剰な自意識が彼を必然のように導いた書くことへの答えだったのだろうか。中上は死ぬまで作家となった自己への問答をし続けていたし、書くことの根拠を問い続けていたから、本当のところは分からないという以外にない。この作品から僕らが受け取るのは、心的な真実が表現されているということであり、それまで誰もなしえていなかったものである。そのところで僕らは中上に魅せられるのだから、そう言えばいいのかもしれない。真実を書くことはとても恐ろしいことであり、根源的な恐怖感と闘うことなしにはありえない。自由が本当は恐ろしく、闘いなしにはあり得ないのと同じであり、中上がそれをやったのは間違いない。こう言えるのかもしれない。家族や地域という世界(その関係的な世界)を取り出すこと、その真実を表現することには抑制(禁制)が働いているが、それを超えるのは恐怖を伴うのだ。
 極めて複雑な血縁関係や路地という世界、兄の死は中上の経験的な世界を媒介にしていることは確かであるが、事実の世界ではない。これは関係が事実とイコールではなく、関係を事実に還元しえないということでもある。中上は自分の経てきた関係的な世界の真実を描こうとしたことは間違いない。その幻想的な関係、心的な関係を描いたのである。それは日本の社会の実態でありながら、沈黙の世界として過程してきた幻想的な世界を表現したのだ。
 中上の経験的な世界を媒介し、それが限定されたものであっても、その関係を通して普遍的な世界を描き得たのだ。それは幻想的な関係、関係の中の幻想の日本的な存在を描いたのだと言えるが、これは中上によって初めて達成されたものである。濃密な親子、あるいは兄弟関係、愛と憎しみとが表裏にある世界、この真実の関係を表現したのである。これが中上の作品が現在でも色褪せず、輝きを失わない理由である。
 真実の世界が表現されることは、政治的な表現では不可能である。それが言い過ぎなら部分的である。このことは確かであり、政治的解放が人間の解放にとっては部分的であるのと同じだ。それならば、文学は人間の解放にとってより根源的でありえるか。現在の若い人たちはこのようには発想しないのかもしれない。こういう発想を共有できた同時代に中上とはあった。
(評論家)
(つづく)







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