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評者◆三上治
中上健次の「裏切られた少年期」――中上はまた、三島由紀夫の割腹事件と連合赤軍事件を画期的なものと評価していた
No.3122 ・ 2013年08月10日




(7)農村の解体と高度経済成長

 1970年代の前半は、中上にとって、本当の少年期を書こうと決意し、それに向かって格闘をしていた時期であった。彼は同年代の政治行動に登場した学生たちと共通の恥部というべきものを持っている、と語っている。それを「裏切られた少年期」とよんでいた。それは、敗戦後に経済再建とともにもたらされた平和と民主主義という戦後思想が自分たちに浸透していたことである。青年期の入り口でその偽善に気がつき、その破産を意識せざるを得なくなり、実力によるそれの粉砕をやっているのだという。青年期は少年期の世界を脱して成年期に向かう過渡期である。沸騰する自意識に根拠を与え、社会の成員になる通過儀礼のような時期だが、日本では独特の位置を持ってきたといえる。青年期は、農村的な、あるいは地方的な世界から都市的な世界へ、あるいは西欧的世界へ向かう時期であり、その思想の獲得をめざすものだった。明治以降の日本の近代への衝動、世界の尖端への衝動でもあった。知的活動や存在はそれを媒介するものにほかならなかった。人はとにかく逃れたい、自由になりたいと思って、故郷から都市に出てくるのであり、それは無意識の衝動に近いのだが、それに思想的な言葉を与えようとするのだ。政治行動も文学的活動もその一つである。
 その端緒において出会ったのが、「角材世代の不幸」という事態だったのであり、そこを超えるために彼は逃れようとしてきた少年期に向かおうとしたが、これは戦後世界の超出に向かうことと重なっていた。僕と中上とは数年の差があり、その故郷にも幾分かの違いがある。だが、地続きというべき似たところもある。僕は三重県の四日市の端の方の農村地帯で少年期を送った。1950年代が物心のつく時期だったが、農村の解体過程を内側から見ていた時期でもあった。伝統的な習俗や農本的世界は、あっという間に掘り崩されていった。例えば、戦後も濃厚に残っていた村落の祭りや慣習は、封建的な風習として教師たちの介入で骨抜きになることがあった。隣村との神社を挟んでの子供同士の喧嘩は、教師たちの見張りで段々と細っていき、いつの間にかすたれていった。盆踊りや祭りからもその原初のエネルギーは消えていったのである。子供たちは学校が終われば会所に集まり、夕方まで山の神をおくる祭りのための準備を長い時間をかけてやっていた。これは子供遊びでもあったが、僕が小学生の高学年になるころには形だけしか残らなくなった。村落の行事の担い手である青年が村落外の仕事にでることで離散し、青年団などが解体したことが根底としてあった。
 1960年代になって、四日市は高度経済成長の走りともいうべき公害の街になった。幼年期の終戦間際にアメリカ軍の空襲や艦砲射撃で赤く空を焦がしていた街は、石油の火炎にとって代わられていた。大学生になったころ、不夜城のような光景を目にして様々のことを思った。東京で左翼運動の中にある自分と、この故郷の風景をどのようにイメージの中で結びつけたらいいのか、問いかけは答えのないままにあるほかなかった。自分の感性的基盤の解体や変貌に対応することを考えても、どうしていいか分からなかったということもある。とても困難なことだったのだ。その意味で中上の達成したものは奇跡というべきことのように思う。

(8)中上の文学者としての直観

 人が少年期から青年期において演ずるのは、自己の世界(存在)を変身させることである。これは自己を疎外させることであり、自分以外の自分を見いだすことである。沸騰する自意識(自我)が必然的に強いることでもある。人は自分以外の自分によってしか、自分とも他人とも関係できないのだから、それをずっとやっているのであれば、その意識が強くなる、あるいは意識的になるということである。それは、社会の一員になること、あるいは社会性を身につけることにほかならない。この内的な衝動は自己が生成してきた内在的な世界からの疎外としてあり、そこからの逃亡としてある。そして、逃亡した世界から、人はその感性的な世界にはなかなか還れないのである。登った山からは降りられないのだ。中上が少年期の世界を書くと決意したところで、それが困難な所業であり、70年代の初めはその苦闘の時期だったのだと思う。彼自身は、書いても書いても没が続いたと述懐しているが、この時期に書かれた作品は『岬』以降の作品に遜色ないと思う。中上は作家のありようでいえば、戦後作家の中では少ない私小説の作風にあるといえるのかもしれないが、感性的な基盤への降り方の深さでは図抜けた存在だし、身辺の世界にはまり込んではいない。これはある意味では、感性的な世界への距離がとれていたことも意味する。
 1970年代前半は、中上にとって20代後半であるが、70年の初めには三島由紀夫の自刃事件が、72年には連合赤軍事件が起き、当時の青年たちに深い衝撃を与えた。中上だって例外ではなかったはずである。その影響は70年代前半の作品にもうかがえるが、吉本隆明の『共同幻想論』の解説として書かれた「性としての国家」にその一端は見える。この中で中上は、『共同幻想論』と三島の割腹事件が70年代を画期的なものとみなし、この当時の社会的事件や政治的事件はこの中に包摂されると書いている。
「政治的事象や社会的事象に発言したくはないが70年代に起こったすべての事象、全共闘運動から連合赤軍事件まで割腹とこの書物が創出する地平を超えるものはなく、ただ新たなことがあるというなら、それは風俗の新奇さのみであると認識している」(中上健次「性としての国家」)
 連合赤軍事件は、中上の遺作ともいわれる『遺族』の中にその影をみることもできるが、ここで注目しておいていいのは三島由紀夫の事件を高く評価している点である。これは中上の天皇論とも深く関係するのであり、後で彼の三島由紀夫評価とともに触れるつもりである。連合赤軍事件はその事実の過程という点では解明されてきてはいるが、本質的な点は謎に包まれたままであり、多くの関係者の手記などもそれを解いてはいない。過日、その一構成員であった人が1975年頃に書いたとされる「『共同幻想論』による連合赤軍事件の考察」を目にすることができた。多分、僕が目にした限りでは最も本質に迫った考察であり、驚きでもあった。彼は連合赤軍事件を共同幻想論の視点や方法で解いているのだが、これはある意味で中上がいった、割腹と書物の創出する地平を超えてはいないということを確認させるようにも思われる。中上が文学者としての直観において見ていたことは、それなりに納得させられることでもある。
(評論家)
(つづく)







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