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評者◆阿木津英
歌人研究・評論の隆盛と実作者としての営為――「論と作は車の両輪」の歌壇傾向のなかで
No.3122 ・ 2013年08月10日




 『佐佐木信綱研究』創刊0號問題提起号が、佐佐木信綱研究会から刊行された。
 信綱は、明治の短歌生成期から敗戦後昭和38年に没するまで、いわば短歌史とともに生きたような歌人・国文学研究者であった。近代文学館には、信綱宛の書簡が山のように納められており、資料も豊富で、交流した人脈の幅も広い。遅すぎた感さえあるこの一大プロジェクトに大きな期待を寄せたい。
 信綱のみならず、地道な歌人研究の会が各方面で開催されている。昨今、女性著者による評論・評伝出版もあたりまえのようになった。よろこばしいことだ。
 しかし、このような歌壇傾向のなかで、実作者としての峻険な道をたどる歌人が見当たらなくなってしまったことに気づく。かつては、女性歌人はもちろん男性にも、論や学問などできずとも実作一筋に生きる作者がいたものだ。実作一本という芸術家肌の歌人がいなくなった。論と作は車の両輪と言ったアララギ派の罪が今日に祟ったと言えないこともない。わたしたちは、作歌行為そのものによって思考・思想するといった存在のあり方を忘れてしまったかのようだ。
 たとえば、「短歌」8月号の特集「うたの余白 言い過ぎない歌い方とは」、これはいわゆるhow toものだが、このような話題こそじつは掘り下げれば実作者にとって困難きわまる大テーマなのだ。
 執筆者は誰もが「余白は大事」「詰め込みすぎはよくない」「いひおほせて何かある」と口をそろえる。だが、その引用歌がてんでばらばら、共通性がない。
 松坂弘は「近頃の若い歌人たちの短歌の散文化は目に余る」、余白がないと嘆く。一方、加藤治郎は〈「見ないまま重ね録りされ消えてった推理ドラマの刑事みたいね」〉(秋月祐一)のような歌に「余白」を見る。これではお題目は理解しても、実作上、何が何だかわけがわからない。
 この松坂弘と加藤治郎の距離を互いに作品の上でつぶさに検討・審美していくところにこそ、実作者としての営為があるだろう。勝手に作り合って、勝手に見解を述べ合っているだけのような現歌壇は、実作に対する感覚が粗く鈍磨していっているように見える。
(歌人)







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