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評者◆三上治
中上健次における「肉体的なもの」の発見──中上の文学的な表出意識に影響を与えたものとは何か
No.3119 ・ 2013年07月20日




(3)中上にとっての処女作とは

 作家は処女作が注目されるし、処女作に向かって深まっていくと言われるが、中上にとっての処女作とはどの作品なのであろうか。彼の第一作と目されるのは「十八歳」である。これは集英社版の『中上健次全集』第一巻の冒頭に収録されている。だが、これを中上の処女作とは言わないし、それから何作目か後の「一番はじめの出来事」がデビュー作として語られ、処女作のように扱われている。こうしたことはどうでもいいのだが、彼が新宿を舞台に放浪のような生活を続けながら作家としての修練を積んでいた中での注目すべき作品という意味では、これが目につくと言える。もう一つ「十九歳の地図」があるが、初期作品群の中ではこの二つが代表的なものと言える。この二つの作品は分裂的であるが、中上のその後の作品の二つの方向を示しているように思う。中上を希有な作家としたのは、地方から都市に出てきて作家を目指した多くが自分の感性的な基盤に背を向け、そこに還れなくなるのに、中上はそうでなかったことにある。その意味ではこの「一番はじめの出来事」の方向線上にある作品が彼の主要な作品であるが、「十九歳の地図」で書こうとしていたことは彼の目指していた方向でもあり、苦悩していたことでもあった。あれは『奇蹟』を書いている頃だから1987年頃だが、自分は同じものしか書けないと呟いていたのを聞いたことがある。中上が目指し苦悩していたことにはこちらの世界もあった。
 この初期作品が書かれた時期は彼が「履歴書に書きようのない時期」と言った5年間に重なるが、作家を目指した多くの若者たちに比すればその早熟度と徹底性という意味では群を抜いた存在であったことは確かである。大体のところ大学の周辺でも同人雑誌などによって作家を目指す風潮はまだ残っていた。中上は『文芸首都』という本格的なグループに属していたが、大正時代以降の知識人のこうした伝統は残っていたのである。学生運動や左翼運動の伝統も同じものであったと言っていい。政治活動も文学的活動も同じだが、この時期には誰かの模倣をするとともに、そこから脱することを目指しもする。
 このころの中上は文学的には大江健三郎の作品を模倣したと言われるが、「十八歳」や「日本語について」などの初期作品を見ればそれはあきらかである。「日本語について」はアメリカ軍の脱走兵を扱った作品だが、自意識の処理が大江の模倣というほかないところがある。大江の後期の作品はともあれ、初期の作品は優れているし、中上が模倣の対象として大江を選んだのは当然のことであり、彼の文学的な感受性が鋭かったことを意味している。戦後作家には模倣の対象になる存在が少なすぎたのであり、それが現実であったと言うべきであろう。

(4)中上と大江健三郎の違い

 作家を目指すなら、誰でも模倣対象を持つのは必然である。ある時期に誰しもが多かれ少なかれ文学青年や文学少女であり、愛読書を持ち、傾倒する作家を持つのと同じである。太宰治はそうした対象としてよく知られているが、言葉は向こうからやってくるほかないところがある。時代や場所や資質といったものが大きな役割を演じるのであろうが、中上にとってその対象が大江であったことは時代的な必然であった。何故なら、その初期作品が戦後文学を代表するものであったことは確かだからである。しかし、中上がそこからの脱出をめざしたことも必然であった。それは中上の文学的な表出感覚や意識が違い過ぎていたからだ。中上のそれは大江と違って優れて肉体的であり、それを発見していけば、そこから脱するのはまた必然でもあったのだ、文学的なものの受容が知の受容であれば、中上にとって大江に傾倒するのはいわば自然過程であって、そこからの脱却として自己の感性的基盤を自覚化し、文学的表出感覚を磨くことは意識的な過程であり、それが彼の文学的な格闘だった。
 中上は暴力的であり、肉体的な存在感の旺盛な作家であると目されており、そのように語られてきた。伝説化した武勇伝も語り継がれてきた。他方で中上は繊細な心と優しさを持ち、どちらかと言えば弱気なところもあった。多分、これはどちらも真実であるだろうが、僕がここで言う彼の文学的表出意識の肉体性は少し違うものだ。日本の作家でその系譜を見出すのは難しいが、僕は肉体の尊厳の表現をめざした田村泰次郎を何となく思い浮かべる。彼は戦後に『肉体の門』等で流行作家になるが、若い頃は意識の前衛派としてあり、新宿を放浪して作家を目指していた。このあたりは中上とある意味では似ている。彼はプロレタリア文学全盛期に「意識の流れ」にこだわり、新感覚派のグループにあったが、文学的な表出感覚を肉体的なものに求めた。これは戦中下では困難になり、中国大陸で六年間にわたる兵士としての行動の中で磨かれた。戦後に彼は肉体的なものの尊厳を旗印に『肉体の悪魔』や『肉体の門』を書く。彼は戦争の中でのヒューマニズム的な、言うなら傍観者的な抵抗ではなく、人が野獣に変身する姿を描こうとした。戦争の本当の姿を書こうとした。戦後の初期に中国大陸を舞台にした作品を除けばこの試みは挫折したと言うほかないが、彼が標榜した肉体的なものは中上の見出した表出意識と似ていると思える。
 言うまでもなく、田村が目指した肉体的なものとは生理的なものではない。生理的なものとしての肉体的なものではない。知や知識ではなく、肉体、あるいは身体としての精神であり、心的な存在である。人間の精神や心的なものがもっぱら知や知識、あるいは知的意識としてあることを否定し、肉体的にあるもの、身体的にあるものを人間的な存在として考えたのである。もし、肉体的なものが生理的なものだけを意味するなら、エロスが風俗としてのみ取りだされるのと同じことになる。そういう表象や表現をとっても精神としてのエロスを別のものに考えている面はあるのだ。
 中上が文学的な主題を見いだしたという意味では紀州や「路地」があったにしても、それには肉体的なものの発見があったのだ。そして、多分、それに影響を与えたものとして、中上も参加していた1968年を頂点するラジカルな運動があった。60年代のラジカルな運動は、掲げる政治的な理念の革命性や急進性に根源的なものがあったのではない。言うなら、理念の急進性に革命性があったのではなく、それは政治的な表出意識においてであり、これは中上の文学的な表出意識に影響を与えたものだった。
(評論家)
(つづく)







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