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評者◆添田馨
中島みゆきの〝国歌”──無限の距離をおいて実在し、「いつの日」にか帰り着く「祖国」
No.3119 ・ 2013年07月20日




 ナショナリティをまったく引水せずに自分の国を歌うことができるものだろうか。できないと私は思ってきた。しかし、それが実はできることが分かったのだ。
 ある時、いろいろな国の国歌を聴き比べたことがあった。私は歌を聴く場合どうしても詞から入ってしまうのだが、残念なことにその時は心底感銘を受けるような詞に出会うことはついになかった。おしなべてそれらは流された血や自国領土、永い歴史や君主像、国によっては党の事蹟などを前面に押し出し、とにかく自らを褒め称えることに精一杯でナショナリティを顕彰的に振りかざしていないようなものは一つもなかったのである。
 だから中島みゆきの「我が祖国は風の彼方」を初めて聴いた時、即座にこれはまったく新しいタイプの“国歌”なのだと思った。どの国の、という限定のまったくない、それでいて類まれな正真正銘の“国歌”なのだと直感した。それにしても「祖国」が「風の彼方」にあるとは、一体どういう意味なのだろう。「水の彼方」「砂の彼方」「空の彼方」にあるとは、どんな思想のそれは表明であるのか。ひとつイメージされるのは、ナショナリティを超えて広がる未知の共同世界への強い志向性である。
 無限の距離をおいて実在し、しかも「いつの日」にか帰り着く場処として歌われる「祖国」──はたしてそれが誰の、どの民族の国なのか、曲はそれについて何も言及してはいない。だが「風」や「空」や「砂」や「水」の彼方に帰郷を果たすという特異なモチーフは、人間だけのものと言うよりも、それを超えた次元たとえば渡り鳥や回遊魚、ある種の昆虫たちの身体感覚さえも内包して成りたっていることに気付かされる。
 人間以外のものたちの視点をも取り込むことで普遍的な領域と化す「天空の国」。私はただ想像するしかないが、そこは幻想として抱かれる生命圏であって、恐らく歴史問題や領土問題、民族紛争などとは無縁な、空虚で充溢した非ナショナリスティックな場処なのに違いない。
(詩人・批評家)







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