書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆三上治
中上健次は1968年の文学的代表者か?──中上はまた「精神の闇屋」としても生きたのだ
No.3118 ・ 2013年07月13日




(五)中上健次のほうへ

(1)ジャズとクスリの五年間

 僕が中上健次と思想的な交流をしたのは彼の晩年であった。年代的に言えば1980年代の後半からである。この時期のことはもう少し後の方で書くことになるが、1970年前後の彼のことに触れてみたい。この辺のところは彼から聞いた話や、その当時に彼とつきあっていた連中の書き残したもので推察するより他ない。ただ、前回まで言及してきた吉本隆明の『共同幻想論』については、1982年に文庫として出た角川版に中上は解説(「性としての国家」)を書いているので参照することもできる。
 中上が新宮から上京したのは1965年である。ジャズ喫茶などに入り浸るなど、当時の大学生や予備校生たちとよく似た生活だった。ただ、日大生であるとして親から仕送り等を受けていたことは特異だった。他方で作家に向けての修業を続け、「文芸首都」に属して活動していた。20歳の時(1967年)に、「文芸首都」に投稿第一作「俺十八歳」が掲載された。また、1970年に向かって盛り上がりはじめた学生運動にも加わっていた。早稲田のブント(第二次共産主義者同盟)系の連中と行動を共にし、1967年10月の第一次羽田闘争や王子野戦病院闘争などに参加していた、と言われている。これらのことは伝説のように伝えられ、彼自身もインタビューなどで語っている。
 この時期が彼の思想形成に何をもたらしたのか明瞭ではない。その後の彼の文学的、思想的な展開にとって重要な時期であったことは想像できるが、明瞭に指摘したものはない。彼の周辺にいたと目される渡部直己が「68年問題」と関連させて論じているものを読んでもその辺の事情は変わらない(例えば、渡部直己と丹生谷貴志の文藝別冊での対談「中上健次の1968年問題」)。これは中上を68年の文学的代表者としてとりあげようとすることが先立ちすぎていると言ってもよい。68年は60年代後半に向かう闘争が頂点を形成したときだが、彼らの言うような「世界革命」なんて関係はないし、特別な「68年問題」などはない。そんなものはフランスの思想家の言説の受け売りに過ぎないのである。
 言うまでもなく、中上にとっても68年の運動が思想形成にとって大きな意味を持ったことはありえる。このときに彼が何であったとか、何をしていたとかはさして重要ではない。また、彼が68年から受けた影響はその日付を超えてあったろうし、後になって自覚しえたことも当然含まれると思う。しかし、「68年問題」なんていうようなことではない。僕がこの時期の中上について注目するところがあれば、彼自身が「ジャズとクスリの五年間は空白の履歴書」と語っていることであり、この中に68年も含まれてある。

(2)中上の「放浪」と「文学」

 「昭和四十年に新宮高校を卒業して、まず、新宮を飛び出して自由になりたかった。抑えつけられていた中上の家に反抗的だったんだ。親には、学校に行くといって上京したが、大学には行く気はなかった。新幹線で上京して、高田馬場の友人のアパートに転がり込んで、第一日目には新宿に出たんだ。そして“DIG”というモダンジャズの店に行って、それからもうジャズとクスリの五年間がはじまっちゃった。この五年間は履歴書に書きようがないんだ。毎日どうして食ってたかもわかんないんだ。クスリでぶっ倒れて救急車で運ばれたりしてね」(データバンクにっぽん人 中上健次)
 これは彼が1965年に新宮から上京して、5年ほど新宿で放浪していた時期を振り返って語っていることだが、履歴としては書ききれない心的なドラマを演じていたと思う。それは心的には激しい格闘を展開していたと推察される。やはり、5年の間こういう生活を送っていたというのが驚異であり、彼の資質も含めて興味深いところだ。家や田舎に有形無形の抑圧を感じていて、とりあえず都市での生活、言うなら一人暮らしに憧れるのは、農村や地方に住む若者に訪れることであった。大学に行くのはそのための一つの道だった。大学に行く人は現在よりも限られていたにしてもである。この履歴が特異なのは彼が大学にも行かずいきなり放浪的な生活に飛び込んでしまったことである。
 大学には入ったけれど、学校などには行かずにモダンジャズ喫茶などに入り浸っていた者はすくなからず存在したにしても、最初からというのはそう多くはなかったと思う。このことは心的にはとてもきついことでもあったと想像できる。普通は5年もやれることではない。時代や彼の資質や家との関係など、様々な要因が関係したのであろうが、これを可能にしたことこそが60年代という時代性だったとも言える。
 どんな形であれ所属することの持つ抑圧性から自由になろうとすることが、青春期の心的な特質である。家や社会に抑圧を感じて、そこから自由になろうとする衝動は自我とともにやってくる。これは青春期の行動を心的に支える基盤でもある。しかしそれを生きることは楽なことではない。かつて吉本は学生たちに、精神の闇屋という特権を行使して生きよ、というメッセージを発したことがあるが、これは心的な自由を社会の与えた特権として生きよということであった。
 中上が、履歴に書きようのない時期と語っているのは心的な自由を生きたということであり、言うなら精神の闇屋としてあったということである。これは無意識の衝動や力に支えられてのことだったのだと推察しうる。彼が放浪と名づけるような生活から離れようとしても、なかなか離れられずにあったのは、自由という衝動や欲望に支えられていたからである、と想像しうる。これはある意味で時代が強いたことであって、当時、学生運動の周辺にたむろしていた連中にも言えることだった。この表出意識は自由の感覚、その現存感覚として現れてくるし、現存する秩序やその意識に敵対し、激しい否定の意識として出てくる。だが、自由な感覚とともに強い孤立感や孤独感を伴うものとして現れる。なぜなら、自由は現在では疎外として現れるほかないし、自由な欲望を生きることには疎外と孤立がついてまわるからだ。これは矛盾と言えば矛盾であるが、そこで初めて、思想が、知識としてではなく、存在的なものとして現れもする。中上は、この履歴に書きようのない放浪の時期にこそ、彼の文学的なもの、その表出的なものを形成しえたのであると推察できる。
(評論家)
(つづく)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約