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評者◆杉本真維子
天国と日帰り
No.3118 ・ 2013年07月13日




 近所の古い教会の門の脇に、掲示板が立てられている。そこには、子どもが書いたと思われる川柳が貼ってある。何日かで貼り替えられるようで、先日見た作品はこうだった。
 「天国へ 行ってみたいな
 日帰りで」
 「日帰りで」にぎょっとした。下五の飛躍が素晴らしすぎる。なんて正直なんだろうか。これを書いた子の気持を想像してみると、優しかったおじいちゃんに会いたいなあ、でも何日も居たら帰れなくなりそうで怖いから日帰りがいいなあ、という感じだろうか。もしそうだとすると、なぜ帰れなくなりそう、と思うのか。天国は楽しいところなので帰りたくなくなるから? もっといえば、死への畏れを本能的に知っているから?
 午後の2時。周囲を見渡すと、人影は全然ない。舗装されていない道の途中の、森の暗がりにひっそりと貼られている言葉。人間よりも、烏や鳩、猫や蛇たちに取り巻かれて在る言葉。小さな木造の教会は、祈りをぱんぱんに湛えて押し黙り、生い茂った枝葉に包まれている。ふくれた烏が長い羽をひろげ、掲示板の上の空へと飛び立っていった。黒光りするその嘴には天への郵便物が挟まっている。ああ、この言葉は届くんだろうな。人間のすがたが見えないほうが、届く、と思えるのは、どうしてだろう。
 これを書いた子は推敲したのだろうか、直感で一気書きしたのだろうか。私はこの詩句になぜこんなにも魅せられているのかを知りたくて、語を並び替えて考えてみた。
 「日帰りで 行ってみたいな
 天国へ」
 もしこういう語順であれば、あまり印象には残らなかった。「日帰りで」という結びに、前言を撤回するほどの冷静さがあって、私はそこに驚いたのだ。「行ってみたいな」と無邪気にいっておきながら、但し、という隠れた条件で、いきなり突き放す。此岸と彼岸のあいだに厳しい一線を引いている。想像上の天国のおじいちゃんも、「え、日帰り?」と一瞬残念がるが、微笑を漏らさずにはいられないだろう。
 足元には大木の根が艶めかしい肌を見せている。気をつけて歩かないと、靴のヒールがうっかり小枝を踏んで、パーンと弾けて脹脛を怪我する。新宿にもこんな森が存在するのだ。でも、もう二十分もすれば、人で賑わった駅前へ出てしまう。私は周囲に誰もいないのをいいことに、いまだ尾を曳くその詩句を、ぶつぶつと唱えて歩いた。
 当たり前だが、日帰りという言葉は、泊まらずに帰る、という意味だ。たとえば、日帰り旅行を終え、自宅で一日の思い出を語る家族。私はその輪のなかに、旅先から引き留めるような手がいっぽん、誰にも知られず伸びている光景をふと思い浮かべた。子どものころ、宿泊を伴う旅行よりも、日帰り旅行のほうが、帰路、感傷的になった気がする。大人になってからは、仕事や海外への旅行などを除いて、泊まる、ということをなぜか私は極力避けてきた。時間の節約とは違う。自分の眠りを余所に置いてこない、決して預けないことで、何かを守ろうとしていた。
 また、想像上のおじいちゃんが満面の笑みで現れる。逞しい羽をひろげた烏が頭上をゆるやかに旋回する。天国は、きっとすぐそばにある。そのぎりぎりのキワで踏みとどまるような感覚に、生を照らされながら、私は少しふるえる。「行ってみたいな」から「日帰りで」までの一寸の間。ひと呼吸が覗きこむ、底なしの裂け目。それくらいの場所に天国はある。
(詩人)







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