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評者◆池田雄一
給料天引きでエクソダス
No.3118 ・ 2013年07月13日




▼ゼロ年代の後半に、純文学畑にいる作家が、たてつづけに巨大な本を刊行した時期があったんだけど、大澤信亮の「新世紀神曲」(「新潮」二〇一二年十二月号、単行本『新世紀神曲』〈新潮社〉所収)は、この純文学のピラミッド化現象をあつかっている。いや「あつかっている」というか、何と言っていいか分からないんだけど。
 ――どういうことでしょう?
▼平野啓一郎『決壊』、鹿島田真希『ゼロの王国』、古川日出男『聖家族』、阿部和重『ピストルズ』、舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』、町田康『宿屋めぐり』。これらの小説って、何かものすごく長いじゃない。長いだけじゃなくて、何かものすごく小説の定型から離れすぎていて、読者が唖然とするような内容だったりするでしょう。それについて論じているんだけど、論じているというよりは、それぞれの作品の主人公が登場しているんですよ。
 この主人公たちが密室に閉じこめられるんだけど、そのなかに一人、探偵が混ざっている。この探偵が傑作で、推理そっちのけで、主人公たちに説教しはじめるんだよ。探偵小説のパロディにもなっていて、事件は、探偵がたまたま眼にした各小説の「要約」からはじまる、とかそんな感じ。
 ――そういえば前回、要約という行為の奇妙さを話しましたよね。
▼要約の部分だけでなくて、作品全体が、アイロニーとして書かれているふしがある。この作品を書くためには、それぞれの作品の主人公を模倣する必要があるんだけど、模倣という行為そのものが、非常に攻撃的なアイロニーだったりするわけで、その不穏な空気が全開になっている。
 いずれにしても批評家が書いた小説に何を求めるかという話になれば、うまくできた小説じゃなくて、むしろへたでいいから新しいことをやろうとしている小説のほうが読みたいでしょう。
 一方でこの作品には「近代小説の舞台というのは、じつのところ探偵小説の舞台と同じだ」という主張がなされている。つまり密室だよね。近代の小説では、この密室というのが特権的なメタファーとして機能している。たとえば、よく「近代的な個人の内面」という言いかたをするけど、これって人間の精神を「密室」のメタファーで語っているということでしょう。
 近代における認識の枠組みの要所要所で、密室のメタファーが作動しているわけなんだよね。たとえば十九世紀というのは社会保障が整備がされていった時期だけど、その後には統計学が発達していく。そこで人間は初めて「数」に還元されることになった。人間が数えられるということは、つまり人間がカテゴライズされるということなんだ。
 たとえばアウグスト・ザンダーのポートレイトというのは、作品の下に「農夫」とか「熟練工」といったタイトルがついているけど、人が数に還元されるというのは、そういう身も蓋もない「入れ物」に還元されるということだよね。
 たとえば、橋下徹の慰安婦発言のなかで、本当に問題とすべきは、彼が「カテゴライズされないものは存在しない」と考えているところだと思う。慰安婦を「風俗」のカテゴリーに入れるなんて、おかしいよね。やはりこうした発想には、何か暴力的なものを感じる。彼がもともと法律畑の人間だから、というのもあるんじゃないの。
 人間を計算可能な存在に変換することは、カテゴリーという密室に閉じこめた状態にすることと変わらない。社会的な仮面というか、いわゆる「ペルソナ」というのは、このカテゴリーでもある密室が具現化されたものでしょう。
 これと対照的なのは、中世の冒険物語からはじまったとされている「ロマンス」だよね。ロマンスでは、空間的移動によって物語を駆動させていくわけだから。
 そうなると「新世紀神曲」に出てくる六作品というのが、すべてが密室という状況のなかで、いかにロマンスが可能なのかという実験をしていることがわかるでしょう。
 ――「密室」という観点を導入すると、平野啓一郎の作品にある、鬱屈した、何とも言えない雰囲気もよくわかるような気がします。
▼そうそう「Re:依田氏からの依頼」(「新潮」)は、まさしくそれがテーマになっていた。事故にあったのを契機に、時間の感覚が狂ってしまった演出家をめぐる小説。『ジョジョ』のスタンドみたいな話だけど、時間の流れが狂うことを描くことによって、人間の内面がまさに密室と化す瞬間をとらえている。
 自分が感じている時間の流れが人とは違うと思いながらも、それを証明することはできない。まさしく「透明な密室」とでも言える状態をつくりだしている。その密室性と平野啓一郎という作家の資質が見事に合致しているよね。登場人物がペルソナ以上の存在ではないのも、密室の主題とうまくかみ合っていた。
 考えてみれば『ドーン』も密室劇だったし、この人は「密室とペルソナの人」なんだと再確認した。
 ――最近の「群像」は企画続きですね。今回は「3篇の〈彼と彼女〉の物語」と銘打たれています。
▼それ以上に「若手男性作家による」というのが、気になったけど。先月の「すばる」にひき続き、松波太郎の作品が載っている。この「LIFE」は、まずドラマとして評価すべき作品だと思う。しっかり者の彼女に寄生していたダメ人間の主人公が、彼女が妊娠することによって、ますますピンチにおちいるという話。この二人のやりとりがガチすぎて、まるで格闘技の試合を観ている気分になる。
 こういうのって、どこか演劇的になってしまって、うんざりする場合が多いんだけど、彼の場合そういう印象がまったくないんだよね。さっき話した、密室とペルソナの問題など、最初からなかったかのように、まるで大相撲のような二人の押し合いが見られる。
 主人公の「猫木」の駄目っぷりがふるっている。たとえばバイトの給料から保険料が天引きされているのを見て、日本から脱出するのを決意する、なんていうのは、ツボにハマる人にとっては泣ける話だよね。そしてここでもやはり、カテゴリーと社会保障の問題が前景化しているわけだ。
 作品世界を機械的にスキャンしていくような語りの視点も面白いし、これは本当にいい小説。
 ――淺川継太氏の「ある日の結婚」は二〇一〇年の群像新人賞受賞後の第一作ですから、三年越しの作品となります。この小説、すごい話ですね。
▼デビュー作の「朝がとまる」も悪くなかったけど、それに比べてもすごく伸びているよね。三年かけた甲斐があったんじゃない。話の内容としては、性の欲動とカニバリズムの問題をわかりやすく繋げているということなんだけど、ここまで一貫して「エロ気持ちいいイメージ」をつくりあげた作品ってないんじゃないの。フェティシズムが全開になっているよね。足首の形容で「小さな分銅が詰まっている」なんて普通は書けないでしょう。
 それでいて、非常にきれいな話なんだよね。そして、欲動の果てに自己の消失が待っているということなんだけど、これが生命活動の停止という意味の死ではなく、純粋な消失として描かれている。
 ――しばらくぶりと言えば、「この世のすべてに感謝して、美味しいごはんをいただきます」(「すばる」)は喜多ふあり氏のほぼ二年ぶりの作品です。
▼主人公の森口は神経症的にその日にやることをリストアップしているんだけど、これは「密室の時代」におけるサバイバルの文法みたいなものでしょう。自分の醜い顔でいかに生き残っていけるかという。それに、森口は理想の女性の条件をリストアップしてカテゴライズしているわけだけど、この「カテゴリーに萌える」っていうのはやはり今日的な話だよね。一方で坂田という男は森口と違って生き残りの文法がないから、ものすごい低収入で働かされている。その辺のコントラストもはっきりとつけていて面白い。
 あと、単行本ではスラヴォイ・ジジェクの『2011――危うく夢見た一年』(航思社)が気になった。
 この本は相変わらずのジジェク節なんだけれど、ジジェクは新しい観点を言い出している。旧来のマルクス主義だと、剰余価値というのは、資本家によって盗まれることになっているけど、そのような資本家というのは、いまどこをさがしてもいないでしょう。じゃあ誰が盗んでいるのか。ここで問題になっているのは、剰余価値ではなく「剰余給与」だとジジェクは言っている。
 たしかに、パナソニックの取締役の退職金が、四人で一八億円というのは、不当だとかいう前に、労働の対価として何かものすごく不自然だよね。給与を媒介として、あらたなブルジョワ階級が形成されていることになる。こうした「賃金ブルジョワ」の問題に、国家がどのように関わっているのか。特別会計が一般会計を凌駕している状態とはどのようなものなのか。そのあたりをふくめて、たしかに「認識地図」を書きなおす時期にきているということでしょう。
――つづく
(文芸評論家)







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