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評者◆三上治
南島論の射程──『共同幻想論』は中上健次にも衝撃を与えた
No.3117 ・ 2013年07月06日




(15)60年安保における沖縄の「欠落」

 吉本が南島論をもって沖縄問題に関わろうとした背後には、70年安保闘争に向かう左翼―反体制運動の世界認識の方法的な混乱と言うべき事態への対応があった。以前に述べたように吉本は、安保闘争後の思想的な混迷の中で反権力―反体制の思想を創出しようとしていたし、『共同幻想論』はその一つであった。南島論は『共同幻想論』の思想的な試金石のような位置をもったのである。吉本は1970年代のある時期から南島論にはあまり触れなくなったし、その考察は途絶えているようにすら見える。僕はこの中断したかに見える南島論を未知の思想として考えていきたいと思っている。
 沖縄問題が僕らの周辺で意識されるようになったのは1968年を前後するころからであるが、それはベトナム戦争に引き続くものであり、認識の手立て(方法)を欠いていたのである。60年安保闘争において当時の学生たちは沖縄をほとんど意識していなかった。68年に僕は活動場所を三多摩に移し、『叛旗』という雑誌を出しはじめるが、この2号で川田洋が沖縄問題の論文を出して、僕らにそれを最初に提起した。当時の政治党派は共産党や社会党の本土復帰論が主流で、新左翼では中核派が奪還論を掲げていたが、他の部分は反発して独立論の支持などを語ってもいた。が、明瞭な理念や方向を示せないままであった。沖縄解放という曖昧な言葉で終始したのが実情であった。これはベトナム戦争でのベトナム民衆の闘いを〈民族解放―社会主義〉として曖昧に位置付けていたのと同じであった。ベトナム民衆の闘いを民族の解放(自決)をめざす民族主義の闘争として評価する一方で、世界同時革命に連関する社会主義の闘争として評価していた。これは歴史的段階として民族解放闘争が出てくる地域性の問題として見る一方で、先進地域主体の世界革命の段階に連関するものと見ていたことを意味する。地域性と歴史性とを整合して認識しているように見えたにしても、世界の動向を認識する方法としては矛盾を抱えたものであった。アメリカとベトナムの言わば中間のような位置にある日本からの見方であって、その双方がよく見えるとともに疎外された空隙を持つものだった。近代以降の日本が世界同時的な現在性に達するとともに、歴史段階的にも、地域的にも特殊性を抱えている中で自己の現在をどう認識するかということに関係することでもあった。
 近代西欧の思想制度を普遍性とし、そこに遅れてある地域的、歴史的な要素を特殊性として認識していく方法は僕らが身につけさせられた思考方法であっても、近代西欧の思想制度の普遍性に疑念が生まれ、それが相対化されるなら、その世界認識の方法も揺らぐ。ある意味ではベトナム戦争のもたらした思想的衝動とはこうしたものであり、沖縄問題は同じ衝動を与えたのである。

(16)沖縄から語られるヤマトとは

 一般に歴史的な先進地域と後進地域、あるいはヨーロッパとアジアなどとして認識されていた思想方法に疑念が生じたことにどう対応するかを迫られたときに、僕らは手立てを持っていなかった。
 吉本が南島論をもって沖縄問題に対応しようとした時に提起したのが、〈時―空性の指向変容〉だった。これは彼の世界を認識する方法であって、近代西欧の思想制度を普遍性として、他の地域のそれを特殊性とし、歴史の発展段階にあてはめていく世界認識の方法を否定するものだった。これに対して歴史的段階を地域的段階に、地域的段階を歴史的段階に相互転換しえるということであり、この方法をもって世界を認識しようとしたのだ。地域性や特殊性に執着してナショナリズムやウルトラナショナリズムに陥るか、逆に世界性にこだわってコスモポリタニズムになるかの自己認識の方法を超えようとするものだった。世界を幻想の構造で認識する方法である。
 沖縄は折口信夫や柳田国男などが探索したことでも知られ、民俗学や人類学の宝庫のように語られてきた。つまり、日本の古い遺習が残っている地域であり、他方で琉球処分という国家的な処置がとられた地域でもあった。太平洋戦争では本土の捨石のように戦闘を強いられ、戦後はアメリカの軍政や支配の下に置かれてきた。この地域住民の闘いに触発されながら、僕らはそれへの関わりを促された。吉本は民俗学や人類学、また、政治運動等の方法とは違った接近をした。沖縄に地域性として日本の古い遺習が残っていることは、歴史的な時間が残っていることであり、それを掘る(自覚的に取り出す、あるいは対象化する)ことで天皇制によって生成された国家的意識を相対化し、超える契機をもつとした。沖縄から語られるヤマトとは、本土を支配した天皇制国家のことである。「文化概念としての天皇」が支配力をもった歴史のことである。この歴史は時間とともに日本の本土の地域に支配力を延してきたが、日本列島を住民の共同幻想としては時間的にも空間的にも部分的に過ぎないのである。これを無化し、超える道が沖縄の地域住民が遺している共同意識を掘り、それを基盤に自立することに外ならないということだった。沖縄の地域住民の自立だけなく、日本列島の他の地域住民の自立を促すものであり、日本における共同幻想の構成の転換をもたらすものであった。
 現在の国家を未来に向かって超える道は、過去に向かって超えていくことと同じでもあるという方法がここには存在したのである。吉本の南島論は沖縄の地域住民の自立を目指す闘いに歴史的な根拠を与えようとしたものだが、72年の沖縄の本土復帰以降はその構想をアイヌなどの北方の問題に広げながら継続してきたのであろうが、直接的な考察としては中断をしてきたように思われる。80年代後半に吉本は沖縄を訪れ講演をしている。そこでその後の南島論を語っているが、地元の人々の反応も含めて後に触れる。
 我が列島に存在してきた共同幻想の歴史的な構造を析出し、その一部に過ぎない天皇制的な共同幻想が支配力を持つ現状を無化する試みは未知の思想として今も残されていると言える。このころ『共同幻想論』は別の形でも読まれて衝撃を与えていたが、その中に中上健次も存在していた。
(評論家)
(つづく) 







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