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評者◆イトー・ターリ(聞き手・李静和)
「仮設」の皮膚──パフォーマンスアーティスト・イトー・ターリ、四〇年の軌跡
ムーヴ――あるパフォーマンスアーティストの場合
イトー・ターリ
No.3117 ・ 2013年07月06日
▼あなたは「イトー・ターリ」を知っているだろうか。知っていなくても大丈夫、何も心配はいらない。いまやわれわれの傍らには、『ムーヴ――あるパフォーマンスアーティストの場合』(インパクト出版会)があるのだ。本書を手がかりに、イトー・ターリ氏に話をうかがった。聞き手は、長らくイトー氏の活動を見守り続けてきた李静和氏にお願いした。(インタビュー日・5月30日、東京・成蹊大学にて〔須藤巧・本紙編集〕)
◆「動く理由」を自分の外に求める 李 「生きている」ということは、別の言葉で言えば、「残された」という感覚だと思います。周囲の「記憶」たちを引き受けつつ受け止めるという関係にあること自体が、残された私たちの現場だと思うんです。ターリさんが、自分の身体を触媒にして約四〇年やってこられた行為には、名づけることのできない領域があり、それは「total performance」というんですかね。 ターリさんの行為には、常に何かが「残されている」。いわゆる表現、あるいはイメージの領域からは、けっして侵犯されない、あるいは入ることのできない、もうひとつの身体、それが包み込まれていく時間が存在していると思います。言い換えれば、ターリさんの身体の底のもうひとつの身体。それをつくりつつ、結果的にはそれが「捧げる」何か... 【現在、図書新聞を定期購読されている方】 から「ご契約者のお名前」「郵便番号、ご住所」「メールアドレス」「ID・パスワード新規取得」の旨をご連絡ください。 【定期購読されていない方】 定期購読契約が必要です。 こちらから をしてください。 |
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