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評者◆東野徳明(みどり書房桑野店、福島県郡山市)
本を奏でる──フランシスコ・X.ストーク作『マルセロ・イン・ザ・リアルワールド』(千葉茂樹訳、本体1900円・岩波書店)
No.3116 ・ 2013年06月29日




 みんなあんまり違っているので、幾重にも驚きが交錯した。以前、某巨大掲示板で「考えるっていうとき、頭の中でなにをやってる?」という質問をしてみた。「言葉で考えるよ」「言葉なんか使わないよ。時間がかかってしょうがないだろ」「文章書くときは?」「言葉で考えるからそのまま写すだけ」「あー、俺は翻訳するから、ひと手間かかるなあ」。言葉で考える人の中にもモノローグの人、ダイアローグの人、より多声で議論する人。「喋ってない。意味そのもので考えてる」。文字で、数式で考える人。イメージで考えるという人も、具象抽象幾何学図形、音と図形と色みたいな複合系、はたまた言いようのないなにか。同じくくりに入る人のあいだでも、話してみると実践的な部分はかなり相違があって、まったく混沌とした状況であった。ぼく自身は空間に展開した立体的質感を、言葉で動かしてゆく。パースのついた触覚で考えている、というのが近い。
 人が平素、頭の中でやっていることがこれだけ違うのだから、本を読んでいるときにやっていることもきっと、かなり違うことをやっているんだろう。
 先日、本読みの友人と話していて「たくさん読んでくると、読むというより奏でるって感じになってくるよね」「あー、それ言える」と、共感をしあった。ふと手に取った本を、買うかどうか決めるときには、冒頭とあと何か所かをさらっと読んでみる。楽器屋でギターを手にして思わず得意のフレーズを爪弾いてしまうように、奏でてみるわけである。いい音色だなあ、と思えば買う。
 本が楽器だとすれば、その演奏も、芸術的水準から素人の手すさびまでの格差があるだろうし、芸術的水準の演奏であっても、例えばジミヘンと押尾コータローとマイケル・シェンカーが同じギターで同じ曲を弾いても、たぶん同じには聴こえないように、広大な自由度とヴァリエーションがあるものと思う。残念ながら本の場合、その音色は、本人の頭の中でしか響かないのだが。
 『マルセロ・イン・ザ・リアルワールド』の主人公マルセロ少年は、自閉症に近い発達障害がある。マルセロには独特の鋭敏と鈍感があって、いつもの読書のように視点人物であるマルセロに感情移入して読んでいると、時折奇妙な感覚が生ずる。マルセロは他人の表情や態度を読むのが不得意なので、しばしば言外のメッセージを見逃す。しかし読者はそれを感じ取ってしまう。地の文には書かれていない、怒りや妬みや衝撃やとまどいや好意を随所で察知する。マルセロの視野を借りて状況を眺めていたのに、ふと気付くと、対面している人物の視点からマルセロを見つめている。文面には書かれていない気持ちで。人の心は、気付かされたときより、みずから気付いたときに活性化されるので、本文では数行でスルーされてしまうシーンで、しばし立ち止まってしみじみしてしまう。読者それぞれに、その人だけの名場面がいくつも、心に残る。けれどもやっぱり勝手な勘繰りなので、それが伏線なのかそうでないのか、後から利いてくるのかこないのか、はっきりしてほしくて先へ先へ読み進めたくもあり、立ち止まっていたくもあり。
 音楽と動物が好きで宗教と正しさにこだわりがあるマルセロは、思わぬ視点からきらめくような言葉を紡ぎ出す。そしてマルセロに触れた人たちの心をふるわせ呼び覚ます。その力は、本の外まで及ぶ。
 考えが進んで分岐して、行き着くところで止まる。そういう考えの枝が、あらゆる方向に伸びて、人の心の中で一本の大きな樹みたいになっている。一冊の本が時折葉叢を揺らす。また別の本がもっと遠くへ、枝を伸ばしてくれる。そして稀に一冊の本が季節のように訪れて、樹ぜんたいが一気に色付き芽吹く。あなただけに聴こえる「春」という名の音楽。







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