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評者◆三上 治
吉本の天皇制体験──吉本の転向論の射程
No.3114 ・ 2013年06月15日




(10)マルクス主義側からの反発

 『共同幻想論』が国家論かどうかについて当時も議論があったが、国家の本質を扱ったという意味では国家論と言ってよかった。しかし、これは国家という言葉で対象となった領域を扱っていたという意味であり、マルクス主義や近代政治学的な意味での国家論という枠組みにこだわらないということでは国家論を否定していたとも言える。国家の本質は共同幻想ではあるが、共同幻想と国家はイコールではないという考えに立っていたからである。国家以前の、そしてまた国家死滅以降の共同幻想も射程に入れて共同幻想を考えていたと言える。国家は共同幻想の歴史的形態(共同幻想の態様、あるいは共同幻想の構成形態)として考えられたわけだから、国家発生以前も、死滅以降もそれはあるのであり、その態様や構成形態が対象となる。近代国家への過程とされる宗教―法―政治国家という展開は共同幻想の態様として考えられる。国家の重層的形態も態様や構成とは矛盾しない。
 吉本が全幻想領域や個体としての人間の心的世界以外が作り出した観念世界という言葉を提示するのも、その存在様式を歴史的に把握しようとしたことであり、マルクスが初期に考察した宗教や法や国家の領域を継承することも意味する。ここで問題となるのは幻想域と非幻想域の関係である。非幻想域とはマルクスが自然史的過程と名付けた経済過程である。あるいはこれを中核とした市民社会のことである。国家と市民社会の関係、あるいは上部構造と下部構造の関係と言われてきたものである。吉本が打ち出したのは幻想領域は独自構造であるとする考えである。彼は本質的な考察をするときは非幻想領域を退けて把握することが可能としたのである。
 マルクスの思想的な展開はそれを意識したとしたのだが、マルクス主義の側から反発を受けた理由でもあった。マルクス主義は還元論的であるが、上部構造と下部構造の関係を強く主張する。宗教や法や国家について本格的な考察もせずに、経済過程の考察から政治過程を考察するマルクス主義の側の反発は強かった。この大きな理由は階級関係(経済的社会関係)に基本的関係を置く社会思想が大きな力を持ったからである。歴史的に言えばマルクスはその中期に『フランスの内乱』等で例のプロレタリア独裁論やコンミューン型国家論を提起し、レーニンはそれを受け継いだが、経済過程から全てを説明する方法は強かった。フーコーは、階級関係が(窮乏化も含めて)19世紀から緊急の思想的課題だったと述べていた。もちろんそれが先進地域では終わりつつあるとも語っていたが、階級関係に基本を置く思想が緊急性を失うことで経済過程絶対主義や還元主義が力を失い、独自領域論が浮上してくるが、吉本の独自領域論は別のところから出てきていた。

(11)躓きの石としての天皇制

 吉本に幻想領域を独自領域であるとする考えが出てきたのは、戦前から戦中の国家体験(天皇制体験)が強くあったためだと思える。明治維新以降、近代過程を歩んだとされる日本でアジア的専制とでも言うべき天皇制国家が強く機能し、現象したのは何故かという問題意識が彼にはあった。あるいは日本的自然思想とでも言うべき宗教、それを本質とした国家に翻弄された経験があると言い換えてもいい。日本の近代化の過程で何故、天皇、あるいは天皇制が強力に作用したのかは、幻想域と非幻想域を対応して考える思想の枠組みでは抽出が不可能とする意識が彼にはあった。天皇や天皇制の問題は近代日本の思想の難所であり、躓きの石だった。
 天皇や天皇制を前近代的残滓や封建的遺構と考える理論や思想があり、それと近代的なものとの組み合わせを二重構造論で説明するものはあった。これを跛行的状態や構造的ズレで説明するものはあるが、何故に天皇や天皇制が支配的力を持って戦争を牽引したのかという問いに答えるものではなかった。天皇や天皇制の宗教的威力(幻想力)によって、死の命令に同意するところまでのめり込んだ体験に答えうる思想はなかった。経済的・物的領域に還元する思想では不可能であるという思想体験として、戦争期の体験が吉本にあった。戦中に自分が内在的に体験した幻想的(心的)体験が幻想領域を独自の領域として析出することを促した。天皇や天皇制に抵抗したとされる思想(マルクス主義や近代思想)の転向の問題も意識されていた。吉本にはマルクス主義の戦時下での転向を論じた『転向論』があるが、転向の問題は近代思想にも向けられていた。近代思想とはリベラリズムやモダニズムであり、1920年代から30年代にはマルクス主義とともに天皇や天皇制に対する抵抗勢力として現れ、やがては転向し、傍観者の地位に追いやられた存在である。
 天皇や天皇制の暴力的力によって転向を余儀なくされる一方、それに抵抗した部分が、獄中にあって節を守ったというのが獄中神話である。これらも含めた戦前―戦中の天皇や天皇制に対する抵抗の挫折と転向という問題を国家的な暴力の問題にではなく、彼らの思想が天皇や天皇制を支えたもの(宗教的威力、つまりは幻想力)に届かなかったというところに見出したのが吉本の転向論だった。抵抗するには相手の存在を内在的につかみえなければ不可能であり、抵抗者たちの孤立や傍観という問題はそれを象徴したのである。吉本が幻想領域の独自性を主張した背後には戦中体験が色濃くあった。
 また、吉本には心的(精神的)世界を対象とする場合と自然や物的存在を対象とする場合の違いについての認識がある。詩的なものと科学的なものの違い、精神的内在史と物的外在史の違いと言ってもいい。彼が文学者であるとともに科学者でもあったことが、独自領域という考えを導く糸にもなっていた。
(評論家)
(つづく)







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