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評者◆秋竜山
フラフラしながら歩く芭蕉、の巻
No.3113 ・ 2013年06月08日




 昔の人はよく足を使った。足がそこにあったから、というよりか、歩くには足を使わなくてはならなかったからだ。それにくらべて現代人は足の存在そのものを忘れてしまっている。いや、忘れてしまっているというより、足を使うのがめんどくさいみたいだ。それにまた、足など使っていては、まにあわないという理由もあるみたいだ。昔はお金のことを、お足といった。現代人は足といったら、ただ靴をはかせるだけのものであるみたいだ。サテ、足を使わないとどーなるか。私の経験だと、足を使わないと頭の働きがにぶる。その証拠にマンガのアイデアも足を使っていた頃は二十秒ぐらいで一本浮かんだものだったが、家の中でゴロゴロしていると五十秒ぐらいかかってしまう。現代人の不健康の源は、やっぱり足を使わないからだと医学的にも証明されているみたいだ。すぐ、クルマにのりたがる。一個人編集部編『「奥の細道」を旅する』(ベストセラーズ、定価五〇〇円)では、足を使ってばかりいた俳聖・芭蕉について追求している。
 〈俳聖・芭蕉が元禄2年(1689)の早春に、深川の草庵から隅田川を船でのぼり、みちのくの旅に出立してから322年が経った(2011年現在)。大垣に至る150日、2400kmの旅は、不滅の名作「奥の細道」に結集した。現在で言えば14都道府県・28市町村に足跡を残した、空前絶後の大紀行であった。芭蕉がその生涯の終わり近くに心血を注いだ漂白の旅(略)〉(本書より)
 私がここで不思議に思うのは、たしかに「奥の細道」は、大紀行文学であるみたいだが、この「奥の細道」に関して、そのことばかりいっている。取り上げられるのは、同じことばかりいって、なんともいいがたしである。それはそれで大結構である。読んでいて、いろいろと評論されていて面白い。面白いから新刊本が出ると、すぐ買ってしまう。この辺で、「奥の細道」の作品をホメてばかりいないで、もっと別の角度からホメてやるべきではなかろうかという意見である。それは、芭蕉が、足を使ってよく歩ききったということである。自分の足で歩いた。「もう、ゲンカイだ、やーめた!!」と、なげだすこともしなかった。足というものは気分が作用して「歩けない」と思ったら、一歩も前へ出ないものである。ひたすら足に「歩け」と、いい聞かせたであろう。たぶん歩きつかれて、夜中に足がほてってねむれないこともあっただろう。血マメだってできる。フラフラしながら歩いている芭蕉の姿を想像すると、そこまでするのか!! と、思えてくるのである。ハッキリいえることは、芭蕉は運動不足だから足を使おうと旅に出たのではない。ある野心からだ。「蕉風俳諧」を打ちたてなければならないという使命感によるものだった。「俺がやらなくて、誰がやる!!」。頭の中はそのことばかり。いても立ってもいられない。旅の途中で野たれ死にしてもかまわない。と、いうのが大体の「奥の細道」決行のいきさつのようである。それは充分わかった上で、まず、どのようにして歩いたかだ。芭蕉は歩くことによって俳聖とよばれるようになった。古池や足からとびこむ水の音。







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