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評者◆三上治
『共同幻想論』の背景──1960年代の国家と革命をめぐる状況について
No.3112 ・ 2013年06月01日




(6)吉本隆明の「執着」

 吉本のマルクス論はマルクスの世界認識の方法の確認を意味した。「自然と自己疎外」がその中心的概念であり、そこから導きだされた幻想や関係は難解だったが、それ故の反発も強かった。僕はこの時期に何故、吉本がマルクスに向かったのかを考えてきた。このころ『試行』は吉本の単独編集になり、家庭的にも結構きついところにあったと推察される。当時、僕は学生運動から離れ裁判を抱え大学も退学処分になり四面楚歌のような状況にあった。バイトで食いつないでいたが、行くところもなく自然と足は吉本宅に向いていた。嫌な顔をせずに迎えてくれた。
 吉本はあまり家庭のことは語らなかったが時折漏らすことでそれを推察できた。こうした中で吉本は思想として言えば抽象的なものへのこだわりがあり、それがマルクスへの論究と重なっていたように思える。思想が思惟活動の展開であるなら、日本的思惟は経験的なものを重んじるために抽象的展開を抑え妥協させてしまう傾向がある。自意識が沸騰する若い自分はこの抽象的なものへ向かう意欲も力も強いが、それはやがて経験という思想で収束させられてしまうのである。思想にとって経験は重要であり、吉本もそれを強調していたが、日本思想の特徴もよく分かっていたのだと思う。ある意味で思想的な主体の転向でもあるが、吉本はこれに抗っていたのではないのかと思う。
 吉本に「この執着はなぜ」という詩がある。吉本は具体的で経験的な生を市井に生きる人として文字通り生き実践した。吉本がこの時期に抱えていた内的な危機は「執着」となって現れたように思う。この抽象的な展開は普遍的なものの展開ということになるのだろうが、これへのこだわりは生涯にわたった。吉本は芥川龍之介の自殺について「下町的なものへの転向があれば、自殺しなかったのでは」と評しているが、吉本は両方の思想が生き延びていく道を考えていたと思える。

(7)前衛主義批判

 マルクス論で吉本はマルクスが考察や論究を中断したままの領域を思想的に再構成して構造的に取り出した。だから、自分がどの領域をやってきたのか、やればいいのかの思想的な地図を書けたのだと思う。このところが分かれば吉本の展開してきた仕事も明瞭になると思う。『言語にとって美とは何か』、『共同幻想論』、『心的現象論』は吉本の代表作だが、この背後に思想的な地図があったのだ。
 この三部作の内の二部にあたる二冊は60年代に書かれているが、後まで書き継がれた『心的現象論』も含めこれらはマルクスが考察を中断したまま遺した幻想領域の仕事ということになる。
 『言語にとって美とは何か』は吉本が続けてきた詩作や文芸評論の仕事の領域の理論的集大成のような位置を持つが、それはまた表現論の展開でもあった。言語の本質的な考察から始まるこの展開で衝撃的だったのは言語の自己表出論の提起だった。僕は69年に獄中にあってあらためてこれを読み直したが、ボロボロになるまで読み直したのは『共同幻想論』も同じだった。この本では序文のところで世界認識の方法と重なるところが書かれている。ここが重要な意味を持つのもそのためである。その前にマルクス主義と国家をめぐる当時の議論を取り上げておこう。
 『共同幻想論』が公刊されるのは68年であるが、その前に雑誌『文芸』に66年から翌年にかけて連載されていた。吉本の国家を共同幻想とみなす論文やそれに基づく論評はその前に存在しており、共同幻想という言葉はそれなりに知られていた。当時の左翼運動や左翼思想の定説のように存在していたのはレーニンの国家論であった。また、レーニンの『何をなすべきか』による前衛的組織論が存在していて、この国家論と前衛論は左翼思想の骨格をなしていた。安保闘争はこのレーニンの前衛論に基づいて存在してきた日本共産党の前衛神話を崩壊させたから、前衛や前衛党をめぐる議論が盛んであった。共産党に替る別の前衛党をという考えと革命に不可欠とされる前衛党という思想そのものに疑念があるという考えが、共産党批判をしている面々からも出てくる時代だった。レーニンの思想や理念は正しいが、それを受け入れ実践してきた方に問題があるとする考えと、いやレーニンの思想や理念に問題があるとする考えは、新左翼あるいは独立左翼(大きくは非共産党系左翼)にずっと続いていくことになるが、その論争が本格化していた。
 吉本は、レーニンの思想は正しいとする考えを前衛主義として批判していた。共産党、あるいは非共産党を問わず革命の原理として信奉されていた左翼組織論(前衛論)を原理的に批判していたのであり、それが前衛主義批判だった。左翼運動にとってはどのような運動や組織を作るかは切実なことだったので安保闘争後はこの論争は白熱したものとしてあった。
 国家論が問題となるのもこれと深く関係している。安保闘争は大衆の運動が国家権力に最も接近した運動であり、日本の歴史ではじめて登場したものであった。この運動は大衆的な反権力運動としては歴史的に画期的なものであったが、どれだけ急進化してもいわゆる革命的蜂起にいたるものとはほど遠いという実感だった。この奇妙な印象は、この段階の闘いが前期的なものであると考えざるを得なくしたが、同時に国家や権力についての検討をうながす契機にもなった。レーニンの国家論は国家暴力装置論であり、左翼には武装蜂起でこれを覆すというのが伝統的な革命のイメージがあった。だが、60年の6月15日の国会構内占拠などの激しい流血の闘争はあっても、これを国家の暴力的転覆に結び付くようなものとしては実感できなかった。議会を通しての革命(民主主義革命)は考えられなかったが、レーニン国家論に基づく革命論もイメージできなかった。この国家と革命をめぐる状況はその後も続くが、吉本の『共同幻想論』はこうした背景の中で存在したのである。
(評論家)
(つづく)







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