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評者◆秋竜山
ハハ、失敗は笑いの母、の巻
No.3112 ・ 2013年06月01日
他人の失敗ほど、たのしいものはない。そして自分の失敗ほど哀しいものはない。自分の失敗に哀しみながら、他人の失敗を見て笑う!! と、いうのが人間の性というものだろう。それにしても、他人の失敗がなぜ腹をよじらせるものなのか。失敗とは、つまりムジュンのカタマリなのである。畑村洋太郎『失敗学のすすめ』(講談社文庫、本体五五二円)を、読みながら、そんなことを思ったのである。〈恥や減点の対象ではなく、肯定的に利用することが、失敗を生かすコツ。個人の成長も組織の発展も、失敗とのつきあい方で大きく違う。さらに新たな創造のヒントになり、大きな事故を未然に防ぐ方法も示される‐。「失敗は成功の母」を科学的に実証した本書は、日本人の失敗に対する考えを大きく変えた!〉これは、本書のカバーにあるコメントである。なにか、すごい失敗の大発見のような趣でもある。そして、失敗学としたことは、けっして失敗ではなかっただろう。〈「失敗学のすすめ」という本の出版を機に世間が私のことを「失敗の専門家」として認知してくれたことが大きな力になっているのを感じている。〉と、〈それはたいへん喜ばしいことで〉と、著者は本書において喜んでおられる。
〈なにか新しいことを始めるとき、多くの人はまず成功例に学ぼうとする。これは当たり前のことで、すでに成功している手本を真似ればそれで万事うまくいくような気がするからそうするにちがいない。ところが、現実にはそのようなことはほとんどあり得ない。成功例を真似ることで一時的にうまくいくこともあるが、たいていの場合やがて想定外のことが起こって最後は必ずダメになるのがオチである。〉(本書より) 失敗は成功のもと、という。成功は失敗のもと、ともいえるのだろうか。どっちもどっちということかしら。失敗を通して、成功を勝ちとろう。と、思いつつ、なにをやっても失敗続き。一度も成功という二文字はなかった。そして、ないままに人生を終わってしまった人もいるのではなかろうか。いくら他人の失敗が笑えるからって、そういう事情があったら笑えるわけがない。そして、自分がそうであったりして。でも、他人の失敗は笑える。そのいい例がマンガである。特に四コママンガはすべて失敗によって成り立っている。マンガ家がアイデアが浮かばない時、四コマ目のオチを「やあ、失敗失敗」と人物に言わせると、それなりの作品になってしまうものである。「やあ、まいった。まいった」というセリフでもよい。これも失敗の部類にはいるだろう。失敗は成功のもと、という。失敗は笑いのもと。失敗は成功の母、ともいう。失敗は笑いの母。 〈「失敗学」における「失敗」は、いったいどのようなものを指すのでしょうか。ここでは「人間が関わって行うひとつの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと」を失敗と呼ぶことにします。別の表現を使えば、「人間が関わってひとつの行為を行ったとき、望ましくない、予期せぬ結果が生じること」とすることもできます。「人間が関わっている」と「望ましくない結果」のふたつがキーワードです。〉(本書より) サテ、問題は何を失敗とするかだ。なんでもいいってことでもあるまい。 |
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