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評者◆よみか
各時代の髪形が文化や社会を描き出す
黒髪と美女の日本史
平松隆円
No.3112 ・ 2013年06月01日




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●選評
本の内容への深い理解の上で、再構成して読み手にわかりやすく概要を説明する、よみかさんのなめらかな語りに安心感を覚えました。
読み手の好奇心をくすぐる項目を抽出しながらも、肝心の主題はさりげなく出し惜しみされており、思わず「続きを読みたい」という気持ちにさせてくれます。
次選レビュアー:ちょわ〈『夫婦善哉』(青幻舎)〉、ぷーとちゃー〈『8歳からのお給料袋』(幻冬舎)〉

 髪について知ることはそれぞれの時代の文化や社会を描き出すことにもつながるという。公家社会で良しとされた垂髪、きわめて合理的な理由から江戸時代を通じて用いられた結髪、「誰よりもカワイイ」をめざす現代の盛り髪まで、女性の髪形にみる日本の文化史。
 美しく長く垂らした黒髪がその昔美人の証とされたのはよく知られるところ。世の中が公家中心の社会のころは、日本は母系社会で結婚の形態もいわゆる通い婚。やんごとなき姫君は屋敷の奥深く働くことはおろか、おおよそ動くことも少なかったから、髪がいくら長く垂れていようが全く問題なし。結い上げたり耳にかけたりすることこそ、卑しいこととされた。長く垂らした髪は即ち高い身分の象徴だった。
 ところが武士の世の中になり社会が変化してくると、垂髪から働きやすく便利な結髪が一般的になっていく。髪を束ねるという実用性から生まれた結髪だったが、身分や年齢による形式を保ちつつも、各々の容姿に調和した様々な結い方が編み出され、櫛や笄、簪なども実用品から次第に装飾品となっていった。
 因みに武家社会で男性の髪型として定着した頭頂部を剃る月代は、もともと戦の際かぶる兜の中に熱がこもり頭が蒸れないようにと考え出されたものらしい。月代にする方法も、当初は頭頂部の髪を木の板ではさんでひっぱる毛抜きで一本一本抜くのだが、これがめっぽう痛かったらしい。「抜いたあとは血まみれになりすさまじい光景だった」…ってまるでホラーだ。結局、痛さに耐え切れなくなった信長が抜くのをやめて剃るようになったのだという。
 明治に入って西欧化が進み断髪令が出ると男性の断髪が心理的な抵抗を感じつつも一度切ってしまえば一気に進んだのに対し、女性の断髪がなかなか進まなかったのは興味深い。大正時代には男性の月代は絶滅(?)しているが、結髪は日本髪として接客業を中心にまだ見られた。結髪から束髪へと緩やかな変化はあったものの基本はロングであり、バッサリ切れば「モダンガール」などと半ば揶揄されてまだまだ男性中心の社会からは好意をもって受け入れられなかった。ヘアスタイルの変化の速度は女性の社会進出のそれと比例しているのだ。
 さて本書の肝は、時代とともに華美に高く結い上げられた髷と現代の盛り髪との共通点を見出したところにある。著者は18世紀フランスロココの貴婦人たちの高く装飾的に結われた髪の例なども取り混ぜて、髪を盛りボリューミーにすることには顔を小さく華奢に見せる、すなわちかわいく見せることにつながるとしている。これは子供の顔の特徴であるベビー・スキーマーという概念を用いたもので、かわいいから守ってあげたいという男心を引き出して、自らが優位に生き残ろうという女性の本能がなせるワザだという。おそるべし女の本能。
 そうなのか。盛れば盛るほどかわいく……。本を閉じてすっかりボリューミーでなくなった己が髪に手をやりつつ久しぶりにパーマでもかけてみるかと鏡をのぞいてみたのだった。 







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