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評者◆三上治
吉本隆明と「幻想」について──吉本は自己にとってだけではなく時代にも応えようとした
No.3111 ・ 2013年05月25日




(4)時代意識としての危機感

 「現存している現実とそこに生きている人間関係とを、じぶんの哲学によって考察しつくそうとする衝動は、青年期のすべての思想的人間をとらえるだろうが、かれほどの徹底性と論理的情熱をもって青年期の願望を成遂したものは、数世紀を通じて現れなかった」(吉本隆明『マルクス紀行』)
 青年期の沸騰する自意識は、自己も含めて存在する世界を考察しつくそうとする衝動をもたらす。これは大なり小なり誰にでも訪れるものであろうが、また中途で終わるほかないものでもある。マルクスについて吉本がここで語っていることは吉本の願望でもあった。これは「固有時との対話」を含めて吉本の思想的な歩みそのものでもあったが、同時に時代的な意識(衝動)でもあった。この意識は危機感と言い現わしてもいい。吉本は自己にとってだけではなく時代にも応えようとしたのだった。このころ「存在の革命」という言葉が流行っていた。革命そのものが、人間の存在の根底的な認識の上に成り立つものであることは自明であったが、そこにわざわざ存在という言葉を付け加えるほかないと思っていたのは、それだけ僕らの存在を包括する思想的考察が欠如していることに気がついていたのである。思想的な飢餓状態があったと言っても間違いではない。
 自然哲学を根底にして人間の存在の総体を思想的に抽出する試みは「自然」と「死」についての考察によってなされた。それは「人間と自然」、「個と類」から人間の存在を認識することであり、これを根底にして宗教・法・国家という幻想領域と市民社会の領域を把握する方法を手に入れた。幻想領域の考察は1840年代で終わり、後は市民社会の解剖のための経済学にのめり込んだのがマルクスの歩んだ道であったが、それを思想的断絶としてではなく、可能性を含めた総合的イメージのうちに再構成したのが吉本のマルクス像だった。
 疎外=表現がマルクスの自然哲学の核心であるが、この評価を通して吉本はマルクス主義がヘーゲルと一緒に始末してしまった意志論の領域を蘇生させたのである。それは幻想という言葉として現れた。何故に吉本は観念や意識ということではなく、幻想という言葉を用いたのであろうか。それは観念や意識という言葉に付着している概念、言いかえれば手垢にまみれたところを切り離したかったのだと思う。このことは吉本に対する誤解と反発の原因になっていた。疎外が表象や表現という意味と、疎遠になることという二重の意味を持っていたように、幻想もまた人間的な表出と空想のような二重の意味を持つ。自然から区別された人間的表出=生命活動という意味の幻想という概念は、多くの人たちには理解されなかったにしても、こちらのほうにこそ吉本の意はあったのである。疎外と幻想を否定面ではなく肯定面で理解することが、吉本に反発する面々にはなかったのである。人間と自然の関係が相互基底的にあらわれる世界を吉本は事実としての世界として規定しながら、疎外関係として現れる世界を幻想域と非幻想域に分けて把握しようとした。事実としての人間の存在は疎外された存在としての人間に対するのであり、その事実としての存在を吉本は極めて重いものとして考察している。人間が自然や個として現れる他ない世界を、吉本はまた透徹したかたちで認識もしているのである。唯物論的な世界理解を吉本はこの面で徹底して受け入れていた。吉本の唯物論的な世界理解と観念論的な世界理解は対立ではなく、深められて存在しており、総合化できる道を拓いたのである。
 「ここでとりあげる人物は、きっと千年に一度しかこの世界にあらわられないといった巨匠なのだが、その生涯を再現する難しさは、市井の片隅に生き死にした人物の生涯とべつにかわりはない。市井の片隅に生まれ、そだち,子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったく同じである」(吉本隆明『マルクス伝』).人間の存在に対する認識がここにはある。

(5)中断されてきたマルクスの世界を拓く

 吉本はマルクスの初期の宗教・法・国家などの考察を幻想領域として蘇生させようした。その蘇生が宗教・法・国家などに対する本質的な理解なしには不可能であり、その本質を欠如させたままで流布されてきたその理念や像を修正したところで、何らの生産的な結果をもたらさないことは自明であった。例えば、レーニンの国家論は強い影響力を持っていた。と同時にその欠陥も多くの人が気づいていた。だから、その修正は試みられた。国家暴力装置論に対してヘゲモニー論やイデオロギー論を加える等であったが、国家本質についての理解が欠如している以上はどうにもならないのが現実であった。宗教・法・国家という領域を把握し直す作業は、幻想という概念をもってなされねばならなかったのである.他方で、吉本はマルクスが自然史的な部分と名づけた経済過程については、幻想領域とは独自に把握可能な世界とした。市民社会の中核にあるのが経済過程であり、これは人間と自然の疎外関係が非幻想的領域として現象する世界であり、経済学はそれを模写するものだった。現実の人間というときに、それは経済的概念や政治的概念では収まりきれないものを持つのであり、資質も含めた事実の人間と言う他ないのであるが、この事実に近い領域として人間の自然史の部分という経済過程があり、それとは相対的に独自な領域として幻想域があるとされたのだ。経済過程や市民社会は非幻想域の世界として事実に近かったにしても、事実の世界ではない。
 吉本は幻想域に、ある意味ではマルクスが中断したまま放置されてきた世界を、また、個の領域として考察外に置いてきた世界に歩を進める。意識的にマルクスが遺した世界、未完のままに中断されてきた世界を拓こうとしたのであるが、それは『言語にとって美とはなにか』、『共同幻想論』、『心的現象論』の三部作として結晶したと言える。
(評論家)
(つづく)







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