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評者◆砂川昌広(宮脇書店西淀川店、大阪府大阪市)
生きるとは、言葉を探すことなのかも──彩瀬まる著『あのひとは蜘蛛を潰せない』(本体1500円・新潮社)
No.3111 ・ 2013年05月25日




 この小説の素晴らしさを伝えたい。本の紹介文を書くとき、いつも切実に思う。けれど何度も読み直し、言葉を尽くそうとするほど、小説から受けた感動から遠ざかっていく気持ちになることがある。今回の紹介文は、いつにもましてそのことを思った。言葉では言い尽くせない想いに溢れる物語だった。
 「蜘蛛だ。蜘蛛の始末を付けられない人だ。きっと蜘蛛がつかめないのは、嘘ではなかった。蜘蛛一匹の始末も付けられないから、自分の始末も付けられないのか。それがあの人の病だったのだろうか。
 国道の彼方を見つめていた柳原さんの背中を思い出す。」
 ドラッグストアの店長として働いている28歳の梨枝。一緒に夜勤に入っていた柳原さんが奥さんを置いて若い女性と失踪したことに心を乱される。とりとめのない会話をする程度の仲だったが、どこか惹かれる人だった。柳原さんがある夜、店にいた蜘蛛を潰せなかった出来事をときおり思い返しながら、物語は入れ替わりに入ってきたアルバイトの大学生・三葉くんとの恋愛を中心に進んでいく。すぐ考え込んでしまう梨枝と対照的に、三葉くんは何事も毅然と割り切って答えをだす。自分とは違う価値観を持つ彼と接することで、梨枝は自分の生き方を見つめ直すことになっていく。柳原さんが潰せなかった蜘蛛。心の奥にぽっかりと空いた縦穴。「ひやり」とする三葉くんの冷笑。窓の向こうに咲くさざんかの赤い花。何度も繰り返し現れるモチーフが、その時々の梨枝の心境の変化によって意味を変えていく。
 他の登場人物たちも様々な想いを抱えながら生きている。梨枝をいつまでも子供扱いする母親。親友であり義姉でもある雪ちゃん。小動物や植物の面倒をみることが好きな兄。依存症と知りながらバファリンを買い続ける常連客の女性。登場した時は分かりやすい人物かと思った彼らは、物語が進むほど深い内面が明らかになっていく。群像劇のようにそれぞれの想いが交錯する。
 「言い終わった後、むなしさに体の力が抜けた。違う気がする。もっと、どうしようもないことで悩んでいた気がする。けど、どんな風に説明したらいいのかわからない。言葉にしよう、噛み砕こうとすればするほどずれていく。」
 梨枝はいつも言葉を探し求めている。自分の感情をうまく言葉にすることができない。なぜそう思うのか自分で自分が分からない。まして、そんな気持ちを相手にどう伝えればいいのか。心を通じ合わせることの難しさに身悶えし、こぼれ落ちた自分の言葉に混乱する。言葉にできない苦しさは、生きることの苦しさと直結していく。読みながら気づけば私も梨枝と一緒に言葉を探していた。
 心のうちにあるものを完全に言葉に置き換えることなどできないのだろう。けれど、たとえ不完全であっても言葉を見つけることによって、目の前の風景が少しずつ変わり始める。今まで気づかなかった自分の感情と向き合うことができる。大切な人たちに少しでも近づくことができる。自分の想いを言葉にして、それを受け取る誰かがいるということが、どれほどの救いであるか。この物語には深い余韻が残る。これから、彼女たち彼らはどんな人生を歩んでいくのだろうか。5年後、10年後の姿に思いを馳せる。生きるとは、言葉を探すことなのかも知れない。







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