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評者◆秋竜山
これが歌の力というものか、の巻
No.3110 ・ 2013年05月18日




 高山鉄男『歌集 風の記号学』(角川書店、本体二五七一円)の一等最初の一首で脳天から釘で床に打ちつけられたように身動きできなくなってしまった。先の歌にすすめなくなってしまったのである。これが歌の力というものか。想いがめぐりだしてしまったのである。こーなったら先にすすもうなんてあせらず、想いがさめるまで待つしかないだろう。この一首であった。

 秋の午後海辺の黒き浮標蹴りてうつろなる胸の音を聞きたり

 私の頭の中に歌謡曲のメロディが流れてきた。なんと、なつかしい昔の私の十代時代。忘れていた。たしかに忘れ去っていた歌であった。この短歌によって、よみがえった。石原裕次郎が歌い出した(作詞/萩原四朗。作曲/上原賢六)。あの、歌!! 錆びたナイフ、であった。昔から私の歌の記憶ほどあいまいなものはない。しかし、感動とは関係ない。感動は心臓をドキドキさせるものであるから心臓の弱いものには、けしてよくないものである。自信のない記憶で歌えば、
 ♪砂山の砂を指で掘ってたら 真っ赤に錆びたジャックナイフが出てきたよ どこのどいつがうずめたか 胸にジンとくる小島の磯だ 
 私は裕次郎のこの一曲として、この歌ではないかと思っている。海辺の漁村育ちであるからか。歌の情景が目に浮かんでくる。もしかすると、私の思い出の青春時代そのものではないかとも思えたりしてくるのである。ジャックナイフという響きが、まるで若者のショーチョーであるようにも思えた。ほしかった。手にいれることができるわけがなかった。なにがなんでもというわけでもなかった。たんなる、あこがれのようなものであった。私の青春時代といったら、あれもこれもがあこがれで終わってしまっている。この「錆びたナイフ」が私の青春時代のあこがれ時代だったのは、この程度のものであった。口ずさむ中でのものだったんだろう。そして、「なぜ?」なんて考えたこともなかった。ところが、「わかった!!」気がした。この裕次郎の歌の歌詞の深いところの意味というものは、この本書の短歌のこの一首が語っているように思え、わかった!! 気がしたのだ。この二つの情景は、絶対に磯浜でなくてはならないだろう。と、いうのも真っ赤に錆びたジャックナイフは磯の砂山で掘ってたら出てきたものでなければ絵にならない。山の畑の中から出てきても、胸にジンとはこないだろう。どこのどいつがうずめたかも、山の畑の中にうずめられたものであったら、胸にジンとはこないだろう。秋の午後、山の畑でくさったカボチャを蹴ってみたら、うつろなる胸の音を聞きたりというようなことはあり得るだろうか。グシャッとした音であるかもしれない。それはそーと、海辺を歩いていたら、たまたま足元に黒き浮標があったのだろうか。それを無意識に蹴ってみたというのだろうか。それとも、「オヤ? あそこに浮標があるぞ」と、思いながら近づいていって蹴ってみたのだろうか。そんなことは余計なことだろう。あーでもない、こーでもないと考えるのは私の悪いクセである。ただ複雑化するだけだろう。







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