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評者◆はるほん
まっさらな子供の視点が衝撃的
記憶喪失になったぼくが見た世界
坪倉優介
No.3108 ・ 2013年04月27日




 坪倉優介氏は18歳で交通事故にあい、一命は取り留めたものの、それまでの記憶を一切失ったという。ドラマにもなったらしいので、ご存知の方もいらっしゃるかも知れない。
 記憶喪失というもの自体は小説やなんかでよく出てくるが、実際の手記というのを読んだのは初めてだった。成程、創作の中の記憶喪失というのは視聴者向けに分かりやすくアレンジされているのだなと感じた。恐らく、手記自体はリアルタイムで書かれたのではなく、後年に坪倉氏が思い出しながら書いたものだろう。何故なら、氏は本当に記憶を失っていたからだ。文字というものは勿論、物に対する概念まで全て。
 ドラマの方は観ていないので、それが手記そのままだったのか、それとも感動ドラマに仕立ててあったのかは知らない。無論、本人や御家族には言葉では言い表せない苦難があっただろうが、自分がこの本を読んで感銘を受けたのは、まっさらな子供の視点が非常に衝撃的だったからだ。
 上を見ると、細い線が三本ついてくる。凄い速さで進んでいるのに、ずっと同じようについてくる。線が何かに当たって、はじけとぶように消えた。すると二本になった。
 冒頭で、坪倉氏が電車で自分の家へ連れられていくくだりだ。最初は何のことか分からなかったのだが、線路に沿う電線だと気付いた時には、あっと声をあげそうになった。
 そうだ。確かにそうだ。自分も小さい時に、食い入るように車窓の外を見ていたはずなのに、何故すぐ分からなかったんだろう。否、「電線」という言葉を代理で使うようになったから、視覚的な説明と一致しなかったのだ。
 全体は6章構成になっていて、章ごとに御母堂が書かれた後記的な説明が入る。それを読んで初めて、ああ、と理解できる状況もあるし、氏が語るよりも結構深刻だったのだなと思えたりする。だがそれらはどれも淡々とした補足のようであり、自分のことは一切書かれていない。
 全ての記憶を失った息子は、疑問を感じると、真夜中でもなんでも母親に聞きにくるのだそうだ。ドラマのような都合のいい記憶喪失ではない。言葉どころか、空腹や満腹も分からない。自動販売機の使い方は勿論、お金という存在自体も忘れているのだ。並大抵の日々ではなかったろう、と思う。
 ずっと昔に体験したこと。初めてエスカレーターやエレベーターに乗った日や、鏡を見た日。漢字や時計の読み方を覚えること。坪倉氏の幼い視点は、絵本から読む子供心とは少し違う。それを読んで、その感覚がはっと頭の中に蘇る。
 自分は違う意味で、記憶を喪失していたのだなと気付く。
 坪倉さんは現在、草木染作家として独立されている。数点の作品がカラーで掲載されており、何とも味わい深い色に、ほうとなった。
 本を読む限りでは、記憶は戻っていないらしい。だがきっと、一度真っ白になった記憶にそうしたように、坪倉氏の未来はこれからも、彼が作り出す色で染め続けられていくのだろう。

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