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評者◆三上治
中上健次に強い影響を与えた谷川雁の日本社会像──谷川の原点というイメージは日本社会の「二重構造論」に深められる
No.3106 ・ 2013年04月13日




(10)オルガナイザーとしての谷川雁の魔力

 筑豊とも呼ばれていた中間市の大正炭鉱では、炭労(総評を上部団体とする炭鉱労働者の組織)系の大正炭鉱労組と、谷川雁の影響下の大正行動隊が一触即発の緊張関係を孕みつつ争議が進行していた。大正行動隊は戦闘的第二組合のような位置を持っていたのであるが、谷川は闘争形態を通して1960年の三池闘争を乗り越えるべき闘いを志向していた。僕は社学同「SECT6」のメンバーたちと支援のために現地に出掛けたが、その中にいた早大の河野靖好はそのまま現地に残った。彼は後に大正炭鉱の退職者同盟の書記となるが、谷川雁にオルグされたのだと推察する。僕も似たような誘いを受けたことは前のところで記したが、彼の説得力は相当なものだったのだ。オルガナイザーとしての谷川の魔力のような力は、女にもてたことも含めて伝説になった。僕が中間市まで森崎和江を訪ねたのは1971年だが、家にはまだ谷川と書かれたポリバケツがあるのを見て驚いた記憶がある。
 谷川は1965年に筑豊から東京に出て「ラボ教育運動」をはじめたが、政治思想的な表現(文化的批評も含む)は沈黙した。『試行』から谷川が離れるのはもう少し前だが、60年代の後半から70年にかけて影響力は急速に消えていったように見えるが、全共闘運動の学生たちには彼の思想的な影響は強く残っていた。
 谷川の初期の思想は『工作者宣言』や『原点が存在する』で表現されているが、原点は近代的なプロレタリアート(労働者階級)よりももっと底辺の存在に革命(エネルギー)の根拠を見出すことだった。「下部へ、下部へ、根へ根へ、花咲かぬ処へ、暗黒のみちるところへ、そこに万有の母がある。存在の原点がある。初発のエネルギーがある」(『原点が存在する』)。原点とは革命、あるいは革命的エネルギーの原点であり存在根拠にほかならない。
 この一節は近代的なプロレタリアート(労働者階級)に体現されるとした普遍性(革命性)が日本やアジアでは部分であり、そこには収まらないもっと包括的な存在を見出すほかないという感性にイメージを与えるものだった。中国革命において毛沢東が農民に見出したものを彼はイメージを拡大して原点にしたのだと言われるが、これは吉本が大衆原像を想定することに匹敵するものであった。この原点は概念としては多分に曖昧さを持つものであったが、イメージとしては喚起力のあるものだった。日本の近代化が世界の先端部分(近代西欧の思想制度)の移植であり、それが日本社会の普遍に転化し、そこから疎外される前近代的なもの、あるいはアジア的なものは段階的に解消していくというのが、知識人をとらえてきた定型的な日本社会の像だった。
 谷川はこれとは違う日本社会像を提起していた。吉本の大衆原像論には柳田国男の常民のイメージがあったが、谷川の原点には稲作農耕民ではない流民の存在もあった。後に詳しく触れることになるが、この谷川のイメージは中上健次に強い影響を与えたように思える。谷川も中上の作品に触れた批評を書いている。1985年ころのことである。彼の原点というイメージは日本社会の「二重構造論」に深められる。原点が1950年代のものであり、「二重構造論」は60年代のものである。これは近代に対する前近代的なものの存在を歴史段階の遅れ、あるいは残存ではなく、近代的な存在とその再生産に不可欠な構造的原理としてあるという認識として提示されていた。日本の近代化の影に膨大に存在し、再生産される臨時工や下請け、あるいは孫請けと言われる人々の像から導かれたものである。これらに構造的な視点を導入するものだったが、日本の歴史を貫く構造としてイメージされたのである。これは全共闘運動の時代に第三世界論や差別論が登場する思想的な基盤をなしたと言える。経済の高度成長で二重構造は消されていったように見えるけれども、格差が拡大を続ける今、日本社会の構造と再生産の問題として再検討さるべきものであるとも言える。

(11)「生産点の占拠」という思想

 谷川雁の提起したものに「生産点の占拠」という思想があった。これは60年の三池闘争から導かれたものであると思われるが、大正炭鉱の争議でもよく語られていた。この思想は大学管理法案反対闘争(1964年に池田内閣が提案しようとしていた大学管理法案に反対する闘争。60年以降の最初の大衆的闘争で、東大銀杏並木で集会が開かれた)で、安保闘争型の街頭急進行動をどう乗り越えるかという意識のイメージ的な導きの糸になっていた。その後の全共闘運動の大学占拠(バリケード占拠)のイメージの萌芽であった。大学闘争では「生産点の占拠」という思想が背後に存在したのである。68年の全共闘運動で現実化した東大安田講堂占拠は、前段の63年段階の大学管理法案反対闘争で構想としては存在していた。安田講堂の壁に書かれていた「連帯を求めて孤立を恐れず…」という言葉が有名になったが、これは谷川雁の言葉である。が、これ以上に大学占拠の思想は彼の「生産点の占拠」から影響を受けたものであったのである。
 谷川の思想には集団や運動のコンミューン的な生成論がある。これは共同体論であり組織論であり運動論であるが、定型化しある意味では制度化した、つまりは擬制化した前衛論(政治・社会運動論)に対して別のイメージを提起するものだった。左翼の組織論の定型であった前衛論(前衛党論)はレーニン組織論によるものであり、また、マルクス主義の組織論でもあった。これは前衛として結集した政治的存在が、労働者や大衆に革命的意識を外から注入(外部注入)することを不可欠とする原理であった。大衆を啓蒙さるべき存在と見なして、大衆の自立的な意思表現に革命性を見いだすことと対極にある考えだが、谷川の共同論はこの自立的な意思表現が形成する集団や運動にコンミューン(共同体的)な像を与えるものだった。この組織や運動の構成論は未完のままに終わった印象だが、提起されたものは残ったのである。
 構造は同じでイデオロギーなどを別にした前衛(前衛党)を創れという主張もあり、新左翼の政治集団はこれに基づいて多く創られていったが、その構造を変えることなしには定型化(擬制化)した政治的・社会的運動や組織は乗り越えていけないという提起も存在した。吉本の前衛論批判と谷川の共同体論(コンミューン論)はこの後者の提起であり、第二の前衛(前衛党)を目指した新左翼の政治グループに批判的な部分に大きなよりどころを与えていたのである。特に全共闘運動の組織や運動への影響は強かった。
(評論家)
(つづく)







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