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評者◆三上治
言葉の解体の時代でもあった混沌とした時代──吉本はマルクス主義とマルクスを区別し、そこから世界認識の方法を構築しようとしていた
No.3103 ・ 2013年03月23日




(6)安保改定を推進した体制や権力の側は?

 1960年10月9日に公開された大島渚の『日本の夜と霧』は直ぐ(4日後)に上映中止になった。公開直後の10月12日に起こった浅沼稲次郎暗殺事件が大きく影響していると言われていたが、会社側の安保闘争に対する対応が主因だったと思われる。この映画は主題がセンセイションに扱われることで波紋を呼んだのだが、大島渚はこの処置に抗議し会社(松竹)を辞めている。これもある意味では安保闘争の影響の大きさと言えるだろう。
 一般に安保闘争は「壮大なゼロ」といわれ敗北と認知されてきたが、改定を推進した体制や権力の側においてはどうであったろうか。安保闘争を推進したのは岸信介であるが、彼は日本の自主軍備強化(憲法改正も含む)と引き換えに日本のアメリカからの自立を出そうとしていた。吉田茂によってサンフランシスコ条約と引き換えに結んだ日米安保条約の片務的性格を改善しようとしていた。この点で言えば片務的性格を両務的性格に替えるという政府の宣伝はある程度は利いていた。しかし、同時に自主軍備強化や憲法改正で日本の軍事力を強化しアメリカの要請による軍事パートナーに歩を進めることも構想されていた。自衛隊の海外派兵も構想に入っていたのだと言える。アメリカが日本に自主軍備強化や憲法改正を要請していた意図にはこれがあって、岸は名目的な独立性と引き換えに対米従属を一層深めようとしていたとも言える。
 この岸の構想に対して吉田茂は軽武装経済重視という対立関係にあった。吉田は自主防衛強化にも憲法改正にも消極的であり、アメリカの要請に応じて軍事パートナーになることに抵抗した。彼は経済発展に軸を置くべきだとしていた。この吉田の戦略に対抗的関係にあった岸によって安保改定は推進されたのだが、岸の後をついだ池田首相は所得倍増を打ち出し経済の高度成長に舵を切った。これは吉田の戦略に軌道を戻すことだった。その意味では岸の自主防衛強化から憲法改正へという構想は大きく狂ったのであり、後退を余議なくされた。日本資本主義が安保闘争で勝利したことは間違いないが、その後の国家戦略にこうした影響をもたらしたのである。日本が高度成長のもと経済重視の戦略をとり、アメリカの軍事的要請に相対的な距離を取ってきたのは1960年安保闘争の影響抜きには考えられないことである。自衛隊の海外派兵を拒んできた力にもなったのである。1960年代後半のベトナム戦争時に自衛隊の派遣が俎上に載ることがなかったのはここに因がある。岸と佐藤(後の首相)の兄弟は安保闘争時にデモ抑圧のための自衛隊出動を強く主張した。自衛隊のデモ抑制への出動を当然のごとく考えていた岸・佐藤兄弟にとっては自衛隊のベトナム戦争派遣もあり得たことだったと想像できる。

(7)「過渡」をめぐって

 安保闘争の敗戦処理に手を尽くしながら、『試行』を創刊し自立の拠点をつくり闘いを持続しようとしていたこの時期を、吉本はどのように見ていたのか。当時、時代に対する認識としてよく使われていた言葉に「過渡」という言葉があり、いい言葉であったが、現状の規定がしにくいあるいは描きにくいものでもあった。既成の言葉や像に対する否定を含んでいたからだが、それにふさわしい言葉を作り出すことが困難だったからでもある。混沌とした時代の相は言葉の解体の時代でもあった。
 当時、人類史が資本主義から社会主義の段階に入りつつあるという歴史観があった。他方で1917年のロシア革命以来、社会主義が実現し世界は資本主義体制と社会主義体制の対立と競合の時代に入ったという世界像もあった。この二つは左翼の歴史観や世界像であったが、マルクス主義の歴史観であり世界像でもあり、大きな力のあった歴史観であり世界像だった。
 共産主義者同盟(ブント)は現在の世界が体制的対立(社会主義と資本主義の対立)にあるという世界像を否定していた。ソビエト連邦(当時)や政権を取ったマルクス主義の国家を社会主義体制国家と認識することは否定していたが、ロシア革命をどう見るかはまだ曖昧なままだった。これはさしあたって社会主義圏と称していた部分の否定は明瞭であっても、ロシア革命以降にマルクス主義が流布させてきた歴史観を否定しきれてはいなかったということでもある。言うなら、共産主義者同盟をはじめとする新左翼の集団はロシア革命以降のマルクス主義の左翼反対派的立場を引きずっていた。
 例えば、1970年に向かう段階で第二次共産主義者同盟の論議として出てきた「過渡期社会」というのはこれを明瞭にする。「過渡期社会」という歴史観あるいは世界像はロシア革命以降、世界は過渡期社会に入ったというものだが、ロシア革命によって人類史が社会主義の段階にあるというマルクス主義の枠組みを踏襲していた。左翼反対派的な立場がここではより明瞭になったと言える。時代を「過渡」として認識することとこの「過渡期社会論」は別と言えるが、正確には「過渡」という言葉にはこうした左翼反対派的立場と独立左翼的立場が混融しながらあったように思える。歴史段階として資本主義から社会主義への移行期という歴史観と、ロシア革命で社会主義が実現し世界の体制になったと世界像の否定を含んで過渡という言葉があったが、新左翼の政治集団は基本的には左翼反対派的立場であった。その中に独立左翼的立場も混じっていたというのが実際のところだった。
 この根本にはマルクス主義に対する立場があった。マルクス主義によって流布されてきた歴史観や世界像の枠組みに留まるか、そこを離脱できるかが、過渡という言葉に与えられるものを規定していた。新左翼の政治集団は、マルクス主義の枠組みから離れられないで左翼反対派に留まったが、吉本はマルクス主義とマルクスを区別し、そこから世界認識の方法を構築しようとしていた。マルクス主義への対応が独立左翼と左翼反対派の分岐をなしていくのであるが、吉本の立場は明確だったと思える。これは過渡という時代をどう見るかでもあったが、吉本にとってそれは長い射程のものだった。
(評論家)
(つづく)







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