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評者◆阿木津英
超大衆的短歌の和歌的権威空間化──金井美恵子が『風流夢譚』で短歌を解毒したもの
No.3102 ・ 2013年03月16日




 金井美恵子の論考「たとへば(君)、あるいは、告白、だから、というか、なので、『風流夢譚』で短歌を解毒する」(河出書房新社『深沢七郎』)を読んでみた。前回本欄で平成版第二芸術論議と書いたが、それはまったく歌壇側の受け取り方であったことを知った。
 金井美恵子の曲がりくねった文章は、見事に『風流夢譚』の風刺精神を承けて「芸」に達しているということを、まず言っておきたい。これだけむきつけな言辞を連ねて底が割れないのはなかなかのもので、苦笑いするしかない。このような風刺にすぐ頭に血をのぼらせるようでは長生きできない。文を知る者なら、底の割れた下品な悪口雑言と風刺の文章とを、きちんと区別できるようでありたい。
 歌壇側が、金井の短歌嫌悪を言い、第二芸術論の再来のように言うのは、「論考」の前半しか読まないからだ。全文の要旨は、もっと深いところを刺している。新聞歌壇まで含めた「超大衆的な定型詩歌系巨大言語空間」であるところの〈短歌〉を、『風流夢譚』の「「歌会始」がどうやらその頂点を占めているらしい、たとえば日本一の富士の山を思い出させる言語空間」であるところの〈和歌〉と混同していたことに気づく、まさにその事実こそがこの「論考」のミソなのだ。
 短歌をよく知らないものは、短歌と和歌とをしばしば混同する。金井は「無知」を装いながら、新聞歌壇まで含んだ「超大衆的巨大言語空間」と「歴史的に天皇を頂点とする短歌系の巨大言語空間」との区別が、今日ではつかなくなってしまっていることを指し、刺す。本文についた「註」末尾の言葉が頂門の一針。すなわち、「短歌空間のヒエラルキー」は「階級差はあるが、「言葉はみな同じ」。
 かつて正岡子規は、古今東西に通用する〈文学〉としての短歌創出のために、「国の魂」を体現するとされた和歌空間と闘わなければならなかった。その短歌が、百年を経て「和歌」的権威空間を形成しつつある。
 人間の集まるところ、どこにでも権威空間はあるものだ。しかし、詩とも俳句とも小説とも違った難問を、短歌という形式は抱え込んでいることに目をそむけることはできないだろう。
(歌人)







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