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評者◆渡辺啓市(ブックスなにわ古川店、宮城県大崎市)
拭いきれない涙がある──中里友香著『カンパニュラの銀翼』(本体1800円・早川書房)
No.3102 ・ 2013年03月16日




 年をとったためか、最近涙腺がすっかり脆くなった。子供の卒業式で泣き(自慢じゃないが、クラスの父親の中で泣いていたのは俺一人だ)、亡くなった友人の手紙を読み返しては泣き、突然彼女から届いた別れのメールを、病院の待合室でうっかり読んだものだから、傍から見たら注射が怖くて泣いているヘンなおっさんになってしまった。
 昨年のアガサ・クリスティ賞を満場一致で受賞した本作品、読了して数ヶ月過ぎたが、まだ物語の中で揺曳している気分が抜けず、他人にすすめようと粗筋を話すだけでいまだ胸が苦しくなる。長い人生の中で、拭っても拭っても拭いきれない涙があることを、この本で知ったのだ。
 舞台は十九世紀の英国。資産家ボーデン家の放蕩息子の身代わりになって、名門大学へ通う使用人のエリオット。ボーデン家には火事のため弱視になった娘、クリスティンがいて偽兄のエリオットを慕っている。この偽兄妹の絆がストーリーの温かい横糸ならば、エリオットの正体を知っている謎の造詣師(剥製作り)シグモンドと、エリオットが助手を務める実験心理学者オーグストの、長きにわたる因縁が冷たい縦糸になって、ゴシックロマンからゴシックホラーへ、そして後半はゴシックファンタジーへと物語が幾層にも折り重なってめまぐるしく展開していく。
 貴族の血統に隠れた悪徳を体現した、美しく老いない男と、異形の怪人、死なない男の長い年月にわたる凄惨な闘い。老いない男の長い人生にぶら下がった、悔恨や恥辱などの負の感情のような、殺しても殺しても再び現れる死なない男。消そうとすれば一人また一人、老いない男の周辺で彼を知る人間が亡くなり、一層孤独と苦悩が深まっていく。
 重苦しいテーマを救うように挿入されているシグモンドとオーグストの妻ミリュエルの大恋愛が素敵だ。
 恋敵ロバート・ヒックス邸の「刺繍の庭」(柘植の緑で出来た迷路庭園)の場面。チューリップや水仙、アイリスの花に囲まれた迷路で迷ったミリュエルを探しにいくシグモンドとロバート・ヒックス。そこでの出来事が、その後の三人の関係を決定づける。
 ミリュエルがロバート・ヒックスに英語を教えられる時、さり気なく使われているマザーグースの詩の効果は圧巻。「愛しているなら本気で愛して リボンを頂戴青にして。 憎んでいるならちゃんと示して リボンを頂戴、緑のを」
 このあと続くリボンの詩が甘く切ない二人の行く末をトレースしていく。
 全編を通して虚無感を漂わせているシグモンドが、唯一見せるミリュエルへの激情が切ない。凍えた心が暖を求めて震えるように、少しずつミリュエルに惹かれていくシグモンド。抑えこんでいた熱い想いをさらけ出した後の無防備な心は、染み渡る喜びと不安でそこだけが別の生き物のように揺れる。
 流麗で艶のある文章、精緻な構成で綴られた物語は、少し視線をずらすと、まるで万華鏡のように別の美しい結晶を出現させる。そう、これは老いない男の孤独だけではなく、彼の行く末を案じながら、先に逝く者の悲しみも語っているのだ。
 閏年の十一月十二日に出現するオーグストからクリスティンを救うため、二人乗りのプロペラ機で北極点を目指す後半は壮大な冒険小説。
 自らが作る剥製のように、見た目は老いないが、魂を抜かれ生きているとはいえない人生。いつまでもミリュエルの面影を追い続け、忘れさせてもらえない苦しさ。鳥のように空を飛びたかったシグモンドだけれど、どんなに夜空がきれいでも、決して星を捕まえることはできないのだ。







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