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評者◆秋竜山
文字こそ究極の姿、の巻
No.3101 ・ 2013年03月09日




 石川九揚『日本の文字――「無声の思考」の封印を解く』(ちくま新書、本体八〇〇円)を読む。石川九揚ファンとしては、たんなる読むとは違う。石川流のセンスにふれると、いうべきか。もちろん、文字に関して、の、である。本のタイトルにあるように、「無声の思考」とは、なんなのか。知ってる人は知ってるだろうし、知らない人は知らないという、きわめて当たり前のことである。が、知ってる人はいいが、知らない人にとっては、耳なれない日本語のような気がして、とっても新鮮な感覚を味わうことができる。
 〈漢字は無声の構成要素から成り立っている文字であって、基本的には、文字そのものは音をもたない。漢字を使用するそれぞれの地域で、各自意味の上での読み方をかぶせているだけである。文字そのものに声がのっかっていない構造が、漢字がアルファベットやひらがな、ハングルと決定的に異なる。〉(本書より)
 本書では、そのわけがくわしく語られている。それは、つまり、「こーいうわけである!!」なんて、いくら無神経な私でも、ここで書くわけにはいかないだろう。スイリ小説の結末を、言ってしまうのと同じことだろう。漢字が無声の構成要素から成り立っている!! と、いうことで、私には別のことが頭に浮かんだ。それは漫画である(チェッ、また漫画か)。よく考えてみると、漫画の画をよーく見ると、文字そのものであることがわかってくる。漫画の画をどんどん単純化する。何に行きつくか。文字にである。文字に行きつき、その先があるか。そこまで考えてないから、わからないが、文字こそ究極の姿というべきではないだろうか。「雨」という文字。どう見ても雨の画である。漫画での表現方法としては、「……」と、なるだろう。「――」と、なることもある。漫画では雨ふりの場面をいろんな表現で描くことができる。「ザア、ザア雨の場合」は「――」を、いっぱい描くと、文字でザア、ザアなど記さなくても、誰でも、画だけで、「ザア、ザア」という音が感じとれる。手のひらに、「……」を受けとめる画では、「ポツン」と、いう音を聞くことができる。つまり、「無声の構成要素から成り立っている画である」からだ。だから、どのようにでも音をかぶせることができる。漫画には、サイレント漫画というのがあって、無言劇とでもいえるだろう。そのサイレント漫画というのも「無声の構成要素から成り立っている画である」と、いうわけだ。だから、そのサイレント漫画を見て、誰がどのように言葉をかぶせようが、文句はいえないだろう。作者が、「いや、描き手として、そんな言葉をかぶせられては困る」なんて、口には出せない。はじめから、サイレント漫画でなくて、セリフつきであったとしても、読者が、「いや、このセリフよりも私の考えたセリフのほうがいい」なんて、ことになっても、作者は「無声」である。
 〈日本語の小説には読み方が両義的な文章がある。たとえば、「春雨」と書いてあったときに、「はるさめ」と読んでもいいし、「はるのあめ」と呼んでも「シュンウ」と読んでもいい。(略)読者は「春の雨」のイメージだけを頭の中にのこして小説を読み進めていく。〉(本書より)
 「春雨」というと、どーしても昔の映画の「春雨じゃ、ぬれていこう……」なんてのが頭に浮がんできてしまう。それが、いいか悪いか。







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