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評者◆三上治
吉本は、自己の存在の基盤から立ちあがる人々の政治的な行為や行動を評価した──あの時代、僕らは現存感覚や表出感覚以外に頼るものがなかった
No.3100 ・ 2013年03月02日




(三)安保闘争のころ

(1)沖縄問題以降の運動の地下水脈

 僕が吉本をはじめて訪ねたのは1960年の9月か10月のことであった。これはあちこちに書いてきたことだが、安保闘争も終わって総括の時期にあったころだ。僕らが参加した安保闘争を指導していた共産主義者同盟(ブント)は四分五裂の状態であった。安保闘争の当時はプチブル急進主義批判をしていた革共同全国委員会がせりだしてきたのが気にくわなかった。肝心の場面(1960年6月15日の国会構内突入闘争)には批判的だったくせに、闘争の後から成果だけかっさらいに来るようなさもしいところがしゃくにさわった。これは1960年安保闘争を全学連主流派として闘っていた一年生の活動家には共通の心情だった。これは後のちまで革共同(革マル派)嫌いになる要因でもあったが、ある程度はマルクス主義の理論的洗礼を受けていた上級生(二年生以上)の活動家たちとは微妙に違っていたように思う。理論的以前に僕らは革共同が嫌いでとにかく上級生もブントの指導者も頼りにならず、吉本を友人と訪ねたのである。
 当時、彼が住んでいた御徒町に行った。吉本はそこで黒田理論批判の話をやってくれたように思うが、後の話では安保闘争時(吉本は6月行動委員会を結成しそのメンバーとして行動していた)は、大体のところ中大や明大の学生の横に座り込んでいたので親近感もあったとのことだった。吉本はその時から、僕が1975年に共産主義者同盟の叛旗派を辞めるまで、特に政治的にもいろいろ付きあってもらった。付きあいは終世のものとなったが、そんな中でも今、考えると僕には1962年の社学同SECT6の時代、吉本の方は試行創刊のころの、思想的に自由な雰囲気が濃密な記憶としてある。
 この時代のことはまた論じることもあると思うが、突然のように話を飛ばしたのには理由がある。吉本が、政治理念よりは自己の存在の基盤から立ちあがる人々の政治的な行為や行動を評価したところに僕が最初に魅かれてきたことを想起したいためだった。よく知られているように、あの安保闘争を革命的な理念(マルクス主義の理念)からでも民主主義的な理念(丸山真男の民主主義の理念)からでもなく、戦後世代の中に成熟してき民主制的な感覚、つまりは現存感覚として肉体化した民主制の感覚の表出というところから評価したのは吉本だけだった。政治行動を政治理念や主題よりも、政治的な表出感覚の方から評価する吉本の思想が、マルクス主義や民主主義の理念よりは現存感覚で出発した僕らの世代に光を与えたのであった。今振り返ると不思議なことだが、政治理念や主題において政治行動や運動を評価する思考様式は前提的なこととしてあったのだ。政治理念は革命的理念でもいいが、その内容はいろいろあり、対立や抗争を含むにせよ、それらが相対化されるところから見てみる思想はほとんどなかったのである。誰もその思考を疑ってはいなかったのだ。吉本は安保闘争の評価においてそれを超える先駆をなしたのである。
 『吉本隆明という「共同幻想」』(呉智英)を読んでいたら、60年世代が吉本に共感したことが分からないと言っていた。これは彼が思想的に鈍かったというだけのことであるが、マルクス主義や民主主義が理念として解体し空虚化していく時代に僕らが現存感覚や表出感覚以外に頼るものがなく、あの時代に行動へ過剰なまでのめり込んだのもそこに理由があり、そのことを誰よりも正当に理解していたのは吉本だったのだ。
 60年代から70年代初頭までの学生運動を追体験しようとした本に『60年代のリアル』(佐藤信)がある。この本はなかなか面白いのだが、例えば次のような文章がある。「60年代の運動を政治的合理性ではなく、彼らの肉体的衝動によって説明したい」とか、「そこで注目されるのは、若さゆえの肉体への興味であり、皮膚への執着だ」とかだ。「リアル」を「現実感覚」と言っていいのだろうが、こういう言葉を使うのは僕らの存在感覚や現実意識が、理念と現実の乖離、あるいは深まりいく中にあるという認識があるためだろう。
 「リアル」という観点は、時代の学生運動や急進的運動の理解としていいと思う。この時代の革命的理念も民主主義的理念も、どんなに激烈に語られたにせよ解体し、空虚感を増すものだった。だから、行動は神話化され過剰に執着された。行動にしか存在感覚が見いだせない、あるいは意識の表出ができないと思っていたのだ。政治表現や行動は理念や主題を媒介する他ないから、これは矛盾として立ちあらわれた。この矛盾を否応なしに意識させられていたのだ。多分、これは他の表現にも言い得たことだった。
 ただ、現存感覚や意識の表出感覚に執着したのであるが、それは佐藤の言う肉体的衝動や皮膚への執着とは違う。これは大事なところだ。彼の三島由紀夫や連合赤軍への興味と重なるところでもあるが、彼らを肉体的衝動や皮膚への執着として見れば、それは「精神の喩としての肉体」を持ってきたものであり、民主制の現存感覚、あるいは意識の表出感覚とは違うものだ。佐藤の視点では、60年代の急進的運動を支えていた行動者の意識と三島や連赤の意識との違いまで届かない。例えば、三島は戦後社会の空虚さを言う。これは戦後のマルクス主義や民主主義の空虚化と重なる。政治的な主題の空虚化でもいい。だが、この空虚化を埋めるものとして「精神の喩としての肉体」を持ってくるのと、現存感覚や意識の表出感覚でなそうとするのは違う。この問題は60年代の急進的な運動の限界として現れたものだ。僕が今、この問題を提起したのはこの歴史的文脈で沖縄問題以降の運動を見たいからだ。沖縄から原発へと出てきている昨今の運動を、歴史的な流れというか、文脈の中で理解したいのである。僕は脱原発や反原発の運動から最近の女子柔道の選手たちの告発や体罰問題まで含めて、地下水のようにあったものとの関連で見たい。マルクス主義も民主主義も理念としてはより深いかたちで解体と空虚化を増している。これは理念の空虚化が制度の壊れという水準にまで移行していることだ。
 女子柔道については注釈がいるかもしれない。女子柔道選手の告発は武道という日本的精神主義の世界の空虚化と言える。マルクス主義や民主主義とは違う領域で生き延びてきた武士道(武道)の精神が解体や空虚化に直面しているのだ。やたらと侍とやらが振り回されることは現実に通用しなくなっているに過ぎないのである。現実基盤のところで壊れているのだ。
 僕は、吉本の昭和女子大での講演で芸術的言葉の問題として沈黙の言葉を強調していたのをこうした文脈で理解した。吉本は、「戦後第四期の現在をめぐって」という副題のついた「柳田国男から日本、普天間問題まで」という対談(インタビュー)を、2010年7月に『神奈川大学評論』で行なっている。今の時代は普遍的なことに満ちているけど、それを一つ一つ掴んでみたいという考えはダメだというかたちで、政治的、社会的な主題をつないでいけばいいという方法はダメだと語っている。時代や情勢の方であらわれる政治的主題から世界を掴むというのはダメと言っている。「自分が自分に対して問いを仕掛けて、それで答えると、答えは誰にも聞こえないし誰にも影響させることができるわけがない。だけど、そういうふうな生き方をとる他はだめなんじゃないですか。ぼくなんかはそれ以外はちょっと、いま方法がないんじゃないかという感じをむしろ持っています」、「…だけど自分のはまり込んでいる場所というのは、自分がどうかしないと他の誰も言ってくれる人も方法もないんです、そういうことが現実で、一番大切で重要なことのように思うんです」。
 この対談で吉本は戦後第四期の政治的・社会的な主題はさらに空虚でダメになるから、自分の現存感覚や表出感覚に執着する以外に方法はないと述べている。ただ、僕は沖縄問題や原発問題を政治的・社会的の理念や主題よりは現存感覚や表出感覚の現在的な現れという点で掴みたい。戦後第四期というならそこで出てきたものを歴史的な文脈の中で見たい。
(評論家)
(つづく)







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