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評者◆白川浩介(オリオン書房サザン店、東京都立川市)
技巧を凝らした美しさを内包した小説──ラジスラフ・フクス著『火葬人』(阿部賢一訳、本体1700円・松籟社)
No.3099 ・ 2013年02月23日




 酒も煙草も嗜まない禁欲主義者で、妻と二人の子供を心から愛する穏やかな紳士である主人公のコップフルキングル氏は、ナチ党員である友人にそそのかされて洗脳されて、恐ろしい罪を犯してしまう……。この小説のあらすじをごく簡単に説明するとこれで終わりだ。ナチスの戦争犯罪に対する糾弾もなければ、戦争に振り回される市民の悲哀もない。にもかかわらずこの小説の何とも言えない深い読後感をもたらす原因はなんであろうか。善良なコップフルキングル氏が、狂気へと堕ちていく様子が抑揚に乏しい冷静な(厳格な、と言いたくなるほどの)筆致でつづられる恐ろしさもあるかもしれない。子供を楽しませるピエロが実は一番恐ろしいように、善良な笑顔を浮かべている人間が陰で信じられない行為をしている、そのギャップの恐ろしさというものは間違いなくある。だが、それだけでは収まらない。
 この小説の恐ろしさを解くカギは、タイトルの「火葬」にある。土葬は霊魂が復活するための憑代として肉体を保持しようとするが、火葬は「人間がいち早く塵に戻り、いち早く解放され、変容し、啓蒙され、生まれ変わるため」(16ページ)に、肉体を「焼却」する。土葬が亡き人の復活を祈るのに対し、火葬は復活を否定する、いわば個人の人生の一回性を肯定するものなのだ。
 本書のタイトルの「火葬人」とは、火葬場の作業人でありのちに所長に就任するコップフルキングル氏自身のことであり、コップフルキングル氏自身も「わたしたちが一回限りの人生を生きるとき、さしあたって問題となるのはこの苦しみをいかに少ないものとするかだろう」と述べている。この言葉自体は慈愛に満ちた言葉だが、のちに「狂気」に堕ちたコップフルキングル氏が罪を犯すときも、実はこの述懐自体の意味は貫徹している。狂気に満ちているとしか思えない行動の裏には、「他人の苦しみを少なくする」という「善意に満ちている」……、じつはそれこそ、ナチスの台頭を許し、熱狂した「善良な人々」のマスヒステリーの真相に他ならないのではないか。論理的には破たんしている主人公の心理を、破綻したものと受け取らせない著者の筆は凄まじい。
 本書を読む愉しみはもう一つ、作者が技巧的に仕掛けた罠にある。たとえば、本書には「パリッとした白襟に赤の蝶ネクタイをした年配の太った男」と「黒いドレスを着た頬の赤い娘」がさまざまな場面で現れる。前後の文章をよく読むと、それぞれの場面で出てきた「太った男」や「頬の赤い娘」はすべて同一人物にも読めるし、まったく違う人物としても読める。うっかりその部分にとらわれると、深読みしてとんでもない解釈が出てきそうだが、それはそれで面白いのではないだろうか。また夫婦げんかのようなことをするカップルもたびたび出てくるが、彼らが出てくる章との関係をよく見ると「合わせ鏡」のようにこの作品は読めるのかもしれない。いずれにせよ、一筋縄ではいかない、技巧を凝らしつつも歯ぎしりしたくなるような美しさを内包しているのが本書の魅力である。
 最後に蛇足を。本書が収められた「東欧の想像力」シリーズ他、ロベルト・ムージルやホワイトヘッド、カルヴィーノなどの著作集を出版されている松籟社さんには心から感謝申し上げたい。売れないといわれている外国文学市場の中でも、さらになじみの薄い東欧文学の良書を発掘し、市場に流通させるのは実は並大抵のことではないと思う。先人たちの努力に感謝申し上げつつ、これからも少しでも「いい本」をお客様にお届けするお手伝いに微力を尽くしたいと思います。







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