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評者◆添田馨
壮大な謎掛け装置──村上春樹著『1Q84』によせて
No.3099 ・ 2013年02月23日
村上春樹の小説『1Q84』は、刊行直後からの累計販売部数が300万部を突破する並みはずれたベストセラーになったことは記憶に新しい。驚くべきは本作品中にも、これとまったく相似形のことが、『空気さなぎ』という架空の小説が同じくベストセラーになる話として、まるで先取りしたかのように描かれていることである。現実の側を虚構であるはずのものが引き寄せたかのようなこうした暗合は、はやり文学作品の持つ社会的側面として分析される必要があるだろう。『1Q84』という作品存在の非文学領域への越境が、明らかに起こったというその結果事実この作品が、唯一、現実と拮抗していると思われる場所がまさに此処なのだ。
『1Q84』を通読して私がもっとも心洗われる思いがしたのは、ラストの場面、青豆と天吾が首都高速道路の非常階段をはじまりとは逆に登って、月がひとつしかない世界すなわち現実の「1984年」に帰還を果たす場面だった(ちなみに1Q84年には月が2個ある)。逃れられない悪夢にうなされて、思わず目覚めた後の、ああ夢で良かったとほっと胸を撫でおろす時の安堵感にも似たものがそこにはあった。でもよく考えてみれば、これはいささか奇妙な事態ではないだろうか。一般的にいって現実世界から虚構世界へと向かうベクトルの内に文学創作の動機性もある以上、小説作品の最たるカタルシスが、虚構世界から現実世界へと逆戻りする裏返しの“解放感”の中に見出される構造は、小説よりはむしろファンタジーが得意としてきたところだからだ。同時に、精緻に編みあげられたさまざまな挿話の数々も、私には現実以上にリアルに高度化されたCGの画像と同質のテイストをさえ連想させる。リアルの質が、どこか違う感じがするのだ。 この『1Q84』に限らず、村上春樹の小説作品には壮大な謎掛け装置といった側面がつねに付きまとってきた。この部分は彼の作品の大きな魅力であると同時に、文学の在り方としてはいささか脆弱な箇所なのではないかと私などは危惧する。現実との拮抗感を、謎解きの迷宮の向こう側に、言葉の振る舞いとして常に先取りしようとする投機的な言語ゲームが、今の村上作品の価値を爾後的に生み出し続けている最後の秘密のように、私には思えてならない。 (詩人・批評家) |
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