書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆三上治
「むかしとった杵柄」はいけない、と吉本は忠告した──政治的主題を超えて、政治的な表現や行動を理解する吉本の思想からは何が見えていたのか
No.3099 ・ 2013年02月23日




(9)「3・11」以降の脱・反原発運動

 吉本の原発容認発言は技術的・文明的観点からだと言われるが、ここには以前からの原発反対運動への批判があったと考えられる。その一つは脱原発や反原発運動の背後にあるエコロジーという理念への批判である。もう一つは『「反核」異論』以来の反核運動への批判である。この批判は1980年代の半ばころから強まった。結局、今回の福島第一原発事故以降の脱原発運動への考えにも終始ついて回っていたように思う。僕はエコロジーをめぐる吉本の考えを含めて1980年代半ばからの議論をふりかえってみたいのであるが、その前に「3・11」以降の脱原発運動について少し述べておきたい。
 吉本の今回の原発事故への反応の中で注目したことの一つに、事故を契機に起こってきた脱・反原発運動をどう見ているかがあった。科学技術の観点で原発から撤退に反対であるからと言って、脱・反原発運動に即時的に反対しないだろう、と推察していたからだ。確かに以前の吉本は反原発運動に批判的であった。今回の事故を見てこの立場は変わるかもしれないと推察していた。それは地域住民や国民の事故への反応を注目していたと思えるし、そのことは吉本の思想から当然と考えられたからだ。
 国民の過半数が原発に反対し、撤去にいたる事態も想定しているような発言をしていたのはその一つだった。だが、前のところで紹介した『週刊新潮』の記事の中では、従来の立場に帰っているように見えた。戦後の小林秀雄の発言(自分は戦争を反省しない)を取り上げ、自分も容易に反省(原発を容認してきたこと)をしないと主張していたからだ。吉本には、脱原発の運動への多くの人々の参加が終戦後の転向のように映ったのかもしれないが、違和があった。
 吉本の思想的な立場からすれば、地域住民や民衆の反応と〈原発の是非〉とは別に評価するように思えた。政治的、あるいは社会的な主題にとらわれず、人々の動きを評価する視点が吉本の思想にはあったし、僕はそこに示唆されることが多かった。だから、今回も脱・反原発の運動をそういう視点で見ているところがあるはずだと思っていたのだ。僕は今、経産省前テントや毎週金曜日の首相官邸前抗議に参加している。国会や霞が関周辺のデモや人々の群れの中にありながら時折、吉本と自然に対話をしていることがある。あるいは彼はこの運動をどう見ているのかと想像することがある。
 毎週金曜日の抗議行動に出てくる若い人はかつての運動のことなどは考えないだろうが、僕らはどうしても1960年の安保闘争や1970年前後の全共闘運動などを思い浮かべながら、今の運動について考えている。そして、吉本ならどう考えるのだろうかということは必然のように出てくるのだが、彼は今の運動を積極的に評価したように思える。彼の追求してきた「自立」はこの運動の中に見られることだからだ。ある友人に多分、吉本はこの運動を評価しているはずだと言ったら驚いていたが、これは僕の妄想ではなく、吉本の思想から必然的に出てくることだ。

(10)金曜官邸前抗議の特質

 現在の毎週金曜日の官邸前抗議行動は一時期のような高揚から見れば、数は少なくなっているが持続している。原発問題の長期化の中で、どのように持久戦としてやれるか未知の領域にはいりつつある。今回の運動は、安保闘争や全共闘運動とは異なる点があり、簡単に評価できないところがある。考えあぐねているが、それでも指摘できるいくつかの特質がある。
 一つは学生であれ、労働者であれ、何らかの組織された部分が中心をなす運動ではなく、自発的な住民や市民の意思表示としてあることだ。官邸前抗議行動では首都圏反原発連合というグループが主催しているが、これは政治的な党派ではなく、行動のための必要な与件としての面々の集まりである。こういう自発的な意思表示は民衆の共同意志の表現として本来的なものである。民衆の自己決定的な側面の色濃くある行動だ。
 もう一つ、この運動は原発問題以外の政治課題を持ち込まないという規制を課している。これはかつてスローガンをめぐる党派対立のような事態の反省から来ているのだが、もともと政治行動や表現での主題は相対的で部分的なものであることを示している。意思表示、あるいは行為自体の中に様々な現実意識があらわれている。人々が行動する契機や意識は多様であり、歴史的な無意識も含めて広くて深いものだ。これは、ここでの表現を原発問題に限るという制約を行動自体で超えている。逆説として言えば、政治的主題を制限することで多様な政治的意思や意識の表現を可能にしていると言える。
 さらに言えば、可能な限り逮捕を避けるという方法を取っている。時に警察と歩を合わせるような場面もあり、かつての運動経験者からは顰蹙を買ったようだが、ここで重要なのは、警察(権力)と衝突することが前提で、そこに意味があると考えることが否定されている点だ。かつての運動は、どのような表現(意思表示)も権力との緊張関係を前提にするほかなかった。ここから権力との対立を際立たせることに意味づけする考えも出てきた。だから、こういう環境や時代の中で育った人たちには不満なのだろう。これは権力の出方で変わる。その具体的な動きの中で考えればいいのだし、主催者は考えていないわけはないと思う。ただ、先験的に権力との衝突を前提にした政治的な意思表示という考えは持たなくていいだけのことだ。前提は共同の意志の表現であり、意思表示である。その場の形成において権力との関係は避けられないが、それは具体的に考えていけばいいのである。
 現在の脱原発運動が、従来の政治運動や表現を超えて展開していることは確かである。かつて吉本が学生たちの行動に見た自立性がある。党派を超えた行動がある。正直に言えば、僕はこの点の議論を吉本と交わせなかったことが残念である。吉本は「むかしとった杵柄」はいけないという風にさりげなく忠告してくれたが、僕は今回の原発事故から出てきた脱・反原発運動に対する思想的な評価が聞きたかった。政治的主題を超えて、政治的な表現や行動を理解する吉本の思想からは何が見えていたのか。
(評論家)
(つづく)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約