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評者◆別役実
私の劇場めぐり
No.3098 ・ 2013年02月16日




 「こや」という言い方がある。漢字で書けば「小屋」だろうか。劇場のことである。とは言っても、「帝国劇場」のような大劇場のことではない。せいぜい収容人員五百人以下の、中劇場から小劇場のことを言う。
 言うまでもなく、「劇場と言うよりは小屋みたいなところで」と、謙遜した言い方から使われはじめたものであろうが、「劇場」という言い方よりはこなれがいいということで、流行ることになったのであろう。「演劇」のことを「芝居」、「俳優」のことを「役者」と言いたくなる気持と、同様である。やや古めかしい言い方だが、そこにちょっと自嘲を匂わせて、当たりがやわらかい。
 ただし、更にこの傾向を推し進めて、「演目」のことを「出しもの」と言ったりするのは、やりすぎであろう。古典芸能ならともかく、現代演劇は、「出しもの」というくくりはきかないのだ。
 ともかく、これまで私の書いた「芝居」が上演されてきた「小屋」は、ほぼ「小屋」と言うにふさわしいところばかりだった、と言っていいだろう。モスクワに、例のスタニスラフスキーの屋敷跡の「馬小屋」を改造した劇場があって、文字通り「小屋」と言うにふさわしく、馬が数頭横に並ぶ形で縦長の空間となっており、客もせいぜい五十人ほどしか入らないところであったが、そこで名取事務所が、私の書いた『病人』を上演したことがあった。
 実は私は、その公演には立ち会わなかったものの、その前年に「ピッコロ劇団」のモスクワ公演につきあって当地を訪ねた折、劇場だけは見せてもらっており、「この空間で、どうやって芝居をするのだろう」と考えたものである。それほど小さく、使い難そうな「小屋」であったが、何のことはない、あのロシアにあったからそう考えただけで、日本では、同じような「小屋」がいくらもあると言っていいだろう。かつて渋谷にあって私も何度か利用させてもらった「ジャン・ジャン」という「小屋」も、芝居をするには奇妙な空間だった、と言っていい。舞台から二方面に客席が分かれていて、言ってみれば正面が二つあるのだ。
 ただし、最初のうちは居ずまいが悪く、戸惑ったが、奇妙なことに何度かやるうちに、それが逆に「味わい」になってくる。「この芝居はジャン・ジャンでやってみたいな」という気になるものまで、出てくるのだ。私の家内の楠侑子と村井志麻子の主宰する「かたつむりの会」の芝居を、ここで数多くやった。故・中村伸郎氏も、ここでイヨネスコの『授業』を連続上演し、そのつながりで、氏が主演の私の芝居も何本かやっている。
 下北沢の「本多劇場」の、いわば衛星劇場とでも言うべきいくつかの「小屋」も、似たようなところがいくつかある。「本多劇場」そのものでは、出来たばかりのころ、『そして誰もいなくなった』という、アガサ・クリスティーの同名のミステリーのパロディーのような芝居を一本やっただけだが、その周囲を取りまくいくつかの「小屋」では、どこで何をやったか思い出せないほど公演をしている。中村伸郎氏のために書き、三谷昇氏が引き継いだ『メリーさんの羊』も、この中のひとつで上演したものである。
 新宿での「小屋」と言えば、何よりも「紀伊國屋ホール」を挙げなければならないだろう。「ここで上演出来るようになれば一人前」と言われていたように、若手の演劇人のいわば登竜門とされていた。ここに劇場が出来た時、「若い演劇人のために」ということが、劇場主の方針として打ち出されていたように思う。
 私の「芝居」も何本か上演させてもらったが、『移動』を早野寿郎氏の演出でやった時、何幕目かで観客が総立ちになるほどの地震があり、「あわや」と思ったが、ちょうど荷車のてっぺんに坐っていた故・村瀬幸子さんが、「よくゆれるね」と言って客を笑わせ、その場を収めてくれたことがあった。楽屋も上手袖も狭く、決して使いやすい「小屋」ではなかったが、ここもまた多くの演劇人が、よくなじんだ空間と言える。
 実は同じ紀伊國屋書店が、新宿駅南口の代々木駅方面に少し歩いた所に、「サザン・シアター」という劇場を造り、ここも若手の演劇人によく使われるようになったのだが、どういうわけかこの劇場も元の「紀伊國屋ホール」と、舞台機構がそっくりで、代わりばえがしない。「使いやすさ」よりも、「なじみやすさ」の方を重要視したのだろうか。私も何度か利用させてもらったが、最近では故・大滝秀治氏主演の『らくだ』が印象深い。
 もうひとつ新宿で忘れられないのは、葛井欣士郎氏がマネージャーをしていた、例の「行列の出来る劇場」と言われた「アート・シアター」であろう。伊勢丹近くの映画館で、映画がはねた後の舞台を使うので、常に深夜公演となるのであるが、ここでオールビーの『動物園物語』が上演された時、開演前に行列が出来たので評判になったのである。
 私の場合は、常田富士男主演の『スパイものがたり』を上演したのが思い出深い。小室等氏の「六文銭」という楽団が生演奏で参加してくれていて、今考えるとひどく贅沢な舞台だったと言えるが、当時は安保闘争に続く政治の季節で、或る評論家には、「焼肉を喰いたい時に、シャーベットを出された気分だ」と酷評された。
 後にこのすぐ裏手の地下に、やはり葛井欣士郎氏がマネージメントをする「蠍座」というミニ劇場が出来、私が楠侑子のために最初に書いた『黄色いパラソルと黒いコーモリ傘』という「芝居」は、ここで上演された。この当時は、新宿が若手演劇人のメッカだったと言っていいだろう。私が唯一自作を演出した『カンガルー』も、紀伊國屋書店の裏手にあった「ピット・イン」というミニ劇場での上演だった。当時はどんな小さな空間でも、「芝居」は出来る、という気分だったのである。
 このほか、私のよく世話になった「小屋」となると、第一に文学座の「アトリエ」を挙げなければならないだろう。文学座では、大きな劇場を使う「本公演」の他に、「アトリエ」を使う「アトリエ公演」というものがあり、後者では若手の実験劇のようなものを主としてやっていたのだが、演出家の藤原新平氏の誘いでそこに入りこませてもらうことが出来たのである。『にしむくさむらい』以下、十本以上やらせてもらっているはずであるが、ここで私の舞台のスタイルが出来たと言ってもいい。
 裸舞台に電信柱を一本立て、その下にゴザを敷いて茶の間とし、文学座特有のキメ細かな所作を通じて生活空間を現出させ、あたかも虚空の中で人々の営みを確かめる、という構図は、ここで作られたのである。後には、同じメンバーばかりで作業をしたので、「若手の進出をはばむ」という理由でひんしゅくを買うことになったが……。
 文学座つながりで言えば、六本木の俳優座劇場にも、大いに世話になったと言えるだろう。実は、鈴木忠志と私の演劇的出発点と言える『象』の初演は、ここだったのである。確か、建て替える前の古い劇場だったと思う。楽屋も狭く、袖もなく、機構としてはひどかったが、私はその古い劇場の方が、空間が縦長に見えて好きだった。ただし、上演された舞台は、私自身から見てかなりよかったと思っているものの、或る評論家から酷評され、演劇界からは無視された。
 漸く問題にされはじめたのは、鈴木忠志が「早稲田小劇場」を結成し、その初演に、同時に造った早稲田の「モン・シェリ」という喫茶店の二階の劇場で、『マッチ売りの少女』を上演して以来である。この公演の前に、カフカの『掟の門』を底本にして、『門』という作品を上演していたのだが、安東信也氏に「お前は、カフカよりアンデルセンの方がいいよ」と言われて、ギャフンとさせられた。
 俳優座劇場では、劇団に依頼されて『そよそよ族の叛乱』という作品を一本上演しているものの、他は劇場主催で五人の紳士シリーズを、これらは恐らく新館になってから、何本か上演させてもらっている。「新館より旧館の方が」と思うのは、もしかしたら前の通りに高速道路がかぶさるように出来、街全体が暗くなったせいかもしれない。
 渋谷に「パルコ劇場」があるが、私はその「パートⅠ」で『椅子と伝説』を、「パートⅡ」で『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』をやったことがある。後者は、中村伸郎氏と故・三津田健氏の共演を企画したもので、私は二人をそれぞれドンキホーテに仕立てた喜劇としたのであるが、この老名優二人の舞台はなかなかの見物だった。「もう一度」という声も多かったのだが、実現しないうちにお二人とも亡くなったのである。
 しかし、思い出の劇場と言えば、使わせてもらった回数は少なかったとは言え、やはり早稲田の大隈講堂のことをつけ加えておかなければならないだろう。この「クッペル・ホリゾント」と言われた、湾曲したホリゾントの美しさは、今でも忘れられない。演劇初体験の劇場だったせいもあり、目をつむって「劇場」と考えると、思わずそこを思い出してしまうのである。
 もちろん、これ以外にも多くの劇場があって世話になっている。忘れてしまったものもあるかもしれない。ただ私は、劇場には好みがあり、ビルの中のものにしても、なるべくは一階にありたい、というのと、せいぜい収容人員二百から三百のものであって欲しい、ということがある。五百人を超える劇場は、どうも「芝居」が薄まるような気がするのである。
(劇作家)







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